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名作アニメ『火垂るの墓』最大の矛盾点は最初から想定内だった!?

 1988年4月16日に公開された名作アニメ『火垂るの墓』は、定期的にTV放映されますが、その度に必ずが持ち上がるのは「節子と清太が死ぬことは本来ありえないのでは?」という意見です。

 同作は野坂昭如さんの実体験を元にした小説が原作で、実は過分にフィクションが含まれていました。それを承知で原作通りにアニメ化した、高畑勲監督の狙いはどこにあったのでしょうか。

『火垂るの墓』の主人公の清太と妹の節子は、戦禍で両親を亡くしたあげく、親せきのおばさんの家に身を寄せるものの、そこでも居場所がなくなります。兄妹は防空壕に逃げ込み、ふたり暮らしをはじめますが、やがて食べ物が底をつき、節子は栄養失調のために衰弱して息絶えます。そして、節子の後を追うように清太も死んでしまうのでした。

 ネット上では「たとえ意地悪をされたとしても、清太が我慢をしていればおばさんの家に残ることができたのでは?」といった感想がよく浮上します。

 高畑監督の盟友である宮崎駿監督も『ナウシカ解読 ユートピアの臨界』(窓社)のインタビューで、「『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。あれはウソだと思います。(中略)艦長(清太たちの父は海軍大尉)の息子は絶対に飢え死にしない」と批判しています。

 実は、当の原作者の野坂さん自身も、小説に多くのフィクションが含まれていたことを認めています。原作が発表された1967年には、自身も清太と同じく戦争孤児だと語っていましたが、1980年『アドリブ自叙伝』(日本図書センター)では、戦禍で父は亡くなったものの母と祖父母は健在だったと告白しました。

 栄養失調で亡くなった野坂さんの妹は、1歳4か月で疎開先の福井で亡くなっています。さらに、神戸の空襲後に一時的に身を寄せた親せきのおばさん宅では、意地悪どころか、いとこのお姉さんと淡い初恋のようなやりとりもあったそうです。

 実際のところ、野坂さんは戦争孤児ではないし、意地悪なおばさんも存在しませんでした。身を寄せたおばさん宅付近を小説の舞台に借りただけで、兄妹で防空壕に逃げたエピソードも創作だったのです。



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清太の甘さは百も承知。それでも原作通りに描いた高畑監督の真意とは?

『ジブリの教科書4 火垂るの墓』(文藝春秋)に掲載された、高畑監督と野坂さんの対談によると、行き場をなくした兄妹が追い詰められて死んで行く展開は、近松門左衛門などの心中ものを意識していたとのことでした。

 また野坂さんは「ぼく自身が、ちょっと身につまされて書き切れなかったということがあるんです。書いてる内に、どうしても兄貴の方を美化して書いちゃうんですね。自分自身でできなかった部分をそこで補っちゃうというのがあって。ぼくは決して主人公のようには優しくはなかった」と語っています。

 おばさんに意地悪されて節子の手をとって逃げ出す清太に関しても、野坂さんは「あの主人公は、戦時中の子どもとしては、どちらかというと、ごく甘ったれの子ども」と断定していました。

 また、高畑監督は「おばさんにイヤ味を言われると、その屈辱に耐えないでパッとそこから身を引いて別の行動をとる。ガマンをしない」と清太の行動を批判しながら、「清太の気持ちは、むしろ、今の子どもたちの方がよくわかるんじゃないかと思うんです。あそこでガマンしなけりゃならんと思うのはぼくらの世代です」と、清太の行動は現代の子供たちの価値観に近いと言及していました。

 1987年の記者発表用資料のなかでも、高畑監督は「もしいま、突然戦争がはじまり、日本が戦火に見舞われたら、両親を失った子供たちはどう生きるのだろか。大人たちは他人の子供たちにどう接するのだろうか。『火垂るの墓』の清太少年は、私には、まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならない」と述べています。

 あえて現代の子どもと近い価値観を持つ少年を主人公にすることで、より戦争体験を身近に感じてもらう狙いがあったようです。

 太平洋戦争を題材にした映画が昔より減っていくなか、公開から36年経った現在でも『火垂るの墓』が繰り返し放送されるのは、高畑監督の狙いが見事に視聴者に刺さり、新たなファンを増やしているからではないでしょうか。