初代仮面ライダーが颯爽とバイクにまたがる『仮面ライダー』DVD第1巻(東映)

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『仮面ライダー』は当初「骸骨」がモチーフだった?

 石ノ森章太郎先生を原作に1971年4月3日に放送開始された『仮面ライダー』は、現在も色あせることなく多くのファンから支持されています。『仮面ライダー』といえば、「バッタ」をモチーフにしたキャラクターデザインが特徴です。当時本作の撮影開始が目前に迫るなか、石ノ森先生はキャラクター変更に踏み切りました。なぜ石ノ森先生は『仮面ライダー』のキャラデザイン変更を希望したのか。その理由をキャラクターの原型となった作品とともに紹介します。

『仮面ライダー』の制作準備は、放送開始日の約2年前から始まりました。クランクインが迫った1971年1月に石ノ森先生は、既に決まっていた「十字仮面(クロスファイヤー)」のデザインに対して「ズキンと来るものがないので変更したい」と番組制作に申し出ます。クロスファイヤーは赤いバイザーに白いマスクといったデザインで、毎日放送、東映テレビ部の番組制作する、いずれのテレビ局からも好評だったようです。

 そして『仮面ライダー』のキャラデザインの変更を申し出た約1年前、読み切り作品として発表した『スカルマン』をモデルに、グロテスクな「骸骨」を題材に新しく再構築しました。しかしドクロをモチーフにしたキャラクターは「骸骨は食事などの時間帯に放映する番組には適さない」とテレビ局側に却下されてしまいます。そこから「バッタ」をモチーフとした『仮面ライダー』が生み出されました。

 石ノ森先生は、なぜ「クロスファイヤー」のデザインから、あえて「ドクロ」に変更しようとしたのでしょうか。それには「三島事件」の影響があるとされています。三島事件とは作家・三島由紀夫氏が1970年11月25日に、自衛隊市ケ谷駐屯地でクーデターを呼びかけた後に自決した事件のことです。

 多くの作品で社会問題を取りあげた石ノ森先生は、若かりし頃は作家や新聞記者を仰ぎ見ていたといいます。当時、マンガ雑誌「プレイコミック」で連載していたSFマンガ『時の狩人』の1話を、何ら三島氏と関わりのない作品にもかかわらず、三島事件の話題を大きく取り上げています。それだけ石ノ森先生にとって三島氏は影響力のある存在だったのでしょう。

 日本社会に大きな衝撃を与えて驚愕させた三島事件を経たことで、「クロスファイヤー」のようなデザインでは当時のヒーローに相応しいとは思えなかったということでしょうか。そこで「死」をイメージさせるドクロをモチーフとしたデザインに結びついたのかもしれません。



『スカルマン (石ノ森章太郎デジタル大全)』(講談社)

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『仮面ライダー』の原型となったダークヒーロー

 では、仮面ライダーの原型となった『スカルマン』とはどういう作品なのでしょうか。

 本作は1970年に「週刊少年マガジン」(講談社)で読み切り作品として発表されました。スカルマンと名乗る仮面の男に、主人公・神楽竜生(かぐらたつお)の両親が15年前に殺され、敵を討つために自らがスカルマンとして関係者たちを倒していくというストーリーです。

 黒幕の正体を暴くために立木興信所の職員として潜入し、次々と事件を仕掛けていく竜生は、立木所長から黒幕の名前を聞き出すことに成功しました。そして、対峙する黒幕の千里虎月(ちさとこげつ)から思いも寄らぬ事実を告げられます。虎月は竜生の祖父であり、人を超越した力を持ち人間的な倫理感から外れる息子夫婦から、人類を守るために殺したというのです

 竜生は虎月を建物に追い込むも、建物が炎に包まれる罠にかかってしまいます。「ワシらは生まれてくる時代を間違えたのじゃ!!」と言い残し、虎月は自ら一族の血を消し去るために命を絶つのでした……。

『仮面ライダー』の原型となった『スカルマン』の主人公・竜生の祖父である虎月は、人間的倫理を持たない息子夫婦から人類を守るためにふたりを殺しました。『スカルマン』では、人間社会に対して非人道的な行為をした者であれば、たとえ身内であっても罰を与えることが描かれています。

『スカルマン』を経て子供向け番組として制作された『仮面ライダー』ですが、社会風刺も取り込むシリアスな側面は、石ノ森先生の社会に向けられた思いが根底に秘められています。