『鬼滅の刃 刀鍛冶の里編』キービジュアル (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

【画像】どれを付けたい? 『鬼滅の刃』のクセ強い「お面」

安全対策? 儀式的な意味合い?

「刀鍛冶の里編」のアニメ化も盛り上がる『鬼滅の刃』で、鬼と戦う鬼殺隊員は、多くの「後方支援」の人びとに支えられています。例えば、鬼殺隊の「育手」として、主人公・竈門炭治郎に水の呼吸や戦闘方法を教えた、元水柱・鱗滝左近次や、炭治郎の日輪刀を打った刀匠・鋼鐵塚蛍です。

 さて、そんな鱗滝も鋼鐵塚も「面」をしています。「育手」で面をしているのは、鱗滝だけですが、鋼鐵塚の属する「刀鍛冶の里」は、ほぼ全員が「面」着用です。武芸を教えるにせよ、刀を打つにせよ、面をしていたら作業がしづらく、不便そうですが、彼らは決して面を外そうとはしません。何か、理由があるのでしょうか。

 ちなみに、天狗の面を付けた鱗滝に関しては「顔立ちが優しすぎるために、鬼にバカにされることが多く、モヤモヤとしていたから」と、されています。鱗滝は弟子である炭治郎たちにも面を渡していますが、これは「厄除の面」であり、お守りの意味がありました。

 炭治郎や錆兎の顔の傷の位置に傷が掘られており、それぞれのことを思って作った面であることは間違いありません。悲しいことに、最終選別では「鱗滝の弟子」を見分ける目印となってしまい、手鬼に真菰や錆兎が殺される原因になりますが、それでも鱗滝の優しさを示す品だと思います。

 一方、刀匠・鋼鐵塚やその他の刀鍛冶が付ける「ひょっとこ面」には、こうした理由はなく、刀鍛冶の里の風習で身に着けているものです。高熱の鉄と向かい合う刀鍛冶が、面を付けると暑くてたまらないはずですし、作業もしにくいように思いますが、それでも全員身に着けています。

 理由は3つ考えられます。ひとつ目は「呪術・儀式的な意味」です。日本刀を打つこと自体が「神事」の意味合いがあるもので、現実の刀鍛冶も「ふいご祭り」で、信仰する「金山彦命」(かなやまひこのみこと)、「金山姫神」(かなやまびめのかみ)、「稲荷神」(いなりのかみ)の3柱(神様は柱で数える)を祭っています。

 刀鍛冶・三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじ・むねちか)が、名刀「小狐丸」を打ったときに、稲荷神が手伝ってくれた話や、後鳥羽上皇が刀を作った際に、稲荷山の土が使われたという逸話もあります。こうした神事の道具として、「面」が必要という考えです。

 ちなみに、刀鍛冶の里の皆が使う「ひょっとこ面」ですが、「ひょっとこ」はかまどの火を竹筒で吹いて火を起こす「火男」が語源という説もあり、さらにその「火男」とは日本神話に出てくる刀鍛冶の神・天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が由来という説もあります。刀鍛冶の面々はお風呂上りなど、作業時間以外でも面を付けているので、取ってはいけない儀式的な意味合いはありそうです。

 もうひとつは「日輪刀を打つために必要」という説です。日輪刀は、一年中陽の射すという「陽光山」で採れる猩々緋砂鉄(しょうじょうひさてつ)と、猩々緋鉱石(しょうじょうひこうせき)という、日光を吸収する鉄から打たれた特殊な日本刀です。

「猩々緋砂鉄・鉱石は通常の鉱物と違った性質を持っていて、作業中に閃光で目を焼かれないために、面を付けている」ということも考えられます。作業時間以外も付けているのは、過酷な作業に耐えるための日々の訓練の一環でしょうか。

 最後は、「重要人物を逃がすため」です。面を付けていれば、個人の識別は難しくなります。鬼に里が狙われた時、未熟で腕がない刀鍛冶が、強い日輪刀を打てる刀鍛冶を逃がすために、囮となって「優秀な刀鍛冶と同じ面」を付けるためではないでしょうか。

 鬼殺隊の任務は極めて厳しいもので、後方支援の刀鍛冶も犠牲が前提になっていても不思議ではありません。鬼舞辻無惨に勝つため、命を惜しまない覚悟を示すものが、「面」なのではないでしょうか。