伯備線(JR西日本)山陽と山陰の絶景を堪能する特急街道

幹線でもあり、ローカル線でもある路線・伯備線(JR西日本)

日本全国津々浦々をつなぐ鉄道路線。

そんな日本の鉄道路線は、150年以上の歴史を持ちます。

日常の一部でもある鉄道路線は地域と密接に関わり、さまざまな歴史とともに走ってきました。

通勤・通学で使用するなじみのある路線にも、思いがけない歴史があるかもしれません。

旅の目的地へ連れて行ってくれる路線には、見逃せない車窓が待っています。

さあ、鉄道路線の歴史の風を感じてみませんか?

今回は、東京から出雲市までを結ぶ日本唯一の定期寝台列車〔サンライズ出雲〕や、山陽本線と山陰本線を結ぶ特急〔やくも〕など特急が走り、中国地方を横断する路線・伯備線(JR西日本)をご紹介します。

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伯備線の歴史

中国山地のローカル線から大幹線に昇格

新見駅~布原信号所間の西川橋梁を走るD51三重連(1971年3月撮影)

深い峡谷の川沿いを走る風光明媚なローカル線であると同時に、新幹線と連携して大都市を直結する幹線でもある。JR西日本の伯備線は、そんな2つの顔をもつ路線です。

岡山県の倉敷駅から、新見駅を経て鳥取県の伯耆大山(ほうきだいせん)駅までを結ぶ、全長138.4kmの路線。現在は振り子式電車や国内唯一の定期寝台特急が走り、古くは蒸気機関車の三重連が見られた、レイルファンに人気の路線でもあります。

伯備線は、明治時代に米子と岡山を結ぶ鉄道として構想され、大正時代に建設された路線です。

全通は1928(昭和3)年10月25日。ローカル線規格の「丙線」として設計されたため、急勾配や急曲線が多い路線となりましたが、山陽地方と山陰地方を結ぶ陰陽連絡路線として重要な役割を果たします。

1958(昭和33)年10月には、陰陽連絡路線初の急行列車である〔だいせん〕が京都〜岡山〜米子〜大社駅(廃止)間で運行を開始。倉敷〜米子駅間の所要時間は3時間20分でした。

伯備線電化前はキハ181系気動車が〔やくも〕として活躍した(1972年6月布原信号所付近にて撮影)

伯備線の運命が大きく変わるのは、1972(昭和47)年3月15日の山陽新幹線岡山開業です。

新幹線と連携して、首都圏や京阪神と山陰地方を最速で結ぶルートとして注目され、一部複線化・新線切替などの改良が施されて岡山〜出雲市駅・益田駅間に特急〔やくも〕4往復が登場。倉敷〜米子駅間を2時間21分で結び、新幹線と連携して東京〜米子間では最速7時間1分と2時間以上も縮めたのです。

1982(昭和57)年11月には待望の電化が完成。曲線区間を高速で走行可能な振り子式電車の381系が投入されて、倉敷〜米子駅間は最速2時間3分となりました。

1998(平成10)年7月にはJR東海とJR西日本が、寝台特急〔出雲〕の1往復に285系寝台電車が投入されて伯備線経由の〔サンライズ出雲〕となり、今では国内唯一の定期寝台特急として毎日伯備線を走り続けています。