大内征の超個人的「どうする家康」の歩き方 #04|中道往還と三方分山

低山トラベラー/山旅文筆家にして熱烈な大河マニアの大内征氏が、家康に訪れる人生の岐路に思いを馳せながら、妄想豊かにゆかりの低山をさまよう放浪妄想型新感覚歴史山旅エッセイ。第4回では、駿河国と甲斐国を結ぶ街道の一つであり、信玄、信長、そして家康も通ったと伝わる中道往還、そして富士の絶景を味わう三方分山を巡ります。虚実が交錯する妄想大河の世界をぜひ、ご堪能ください。

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消せない一話

つい最近までは、例年以上に暑く感じる日々が続いていたけれど、気がつけば最高気温が30度を割る日が増えてきた。いつまでも酷暑のままでは嫌気がさす反面、まだ終わらない夏山シーズンには嬉しさも感じる。しかしながら、9月中旬の立山・雷鳥沢はうっすら紅葉がはじまっていたし、関東周辺の低山にも秋の空気が漂いはじめている。

駿府フィールドワークをテーマにした前回の更新から、気がつけば3ヶ月。その間、ドラマはずいぶん話が先に進み、面白い展開になっている。戦国時代ファンにとっては極めて大切な「天正十年」の出来事が過ぎ、家康にとってはどうするか悩ましい状況が立て続けに起こっているようだ。

土日は山にいることが多いため、ぼくはもっぱら録画派。そんな中で、ハードディスクからいまも消せない一話がある。第26話の「ぶらり富士遊覧」だ。この回を境に、それまでの雰囲気とは打って変わって俄然面白くなったと感じている。まさか、25話までのもやもやした進み方は、視聴者のそういう心の動きをあらかじめ計算した脚本だったのかもしれない。そうだとすると、脚本の古沢良太、すごい……。

そんなわけで、今回はこの第26話のキーワード「富士山」をきっかけに、山梨県の中道往還と三方分山についてとりあげたい。ドラマでは中道往還という名称が直接登場することはなかったと思うけれど、信玄、信長、そして家康も通ったと伝わる歴史ある山道である。

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ドラマの流れがガラリと変わった「話」の舞台

精進湖からの子抱き富士と逆さ富士。家康が信長を接待したという本栖湖からの風景に負けていない

この連載の第一回目で触れた、小栗旬と松本潤の対談動画のことを覚えているだろうか。昨年末に『鎌倉殿の13人』が終了し、次年の『どうする家康』を控える中で公開された、両主役による時空を超えた“武家の頂点”対談のことだ。ここで二人は「話(わ)」について語り合っている。ドラマとしてもっとも重要なターニングポイントとなる回のことだ。

個人的にいくつか想像した「話」のひとつが、まさに第26話で描かれていた。見てきた中で一番ソワソワする回であり、その終わり方は目をみはるものがあった。いつもは視聴したらすぐに消去するのだけれど、これだけはいまも消せずに残している。いずれ「もう一度、見る」と考えてのことで、まさにこの原稿を書く直前にも見直したばかり。

ネタバレしないよう簡潔にまとめると、甲斐武田氏との諸々の決着のために往来した富士山西麓の街道「中道往還」の途上において、家康が信長を接待したという史実がベースになっている。この道は富士山の西側を通っており、駿河と甲斐のアクセスがいい。軍勢の移動や物流スピードにおいて最適最速だったと伝わる。現在では、山梨で登山を楽しむうえで欠かせない峠でもある。