イタリアヤマハで製造、日本国内向けモデルは存在しなかった!

ヤマハでシングルといえば、いわずもがなのSR400/500。
この1978年以来のクラシカルな路線とは次元を異にした、SRX400/600を1985年に投入、シングル(単気筒)のスポーツといえばヤマハをイメージさせるほど、こだわりの人気機種を育んできた。

そのSRX400/600も、1990年に第2世代が誕生、まさにスーパースポーツといえる高いレベルの新しいシャシーや足回りだったが、ファンは初代の2本サスを好み、ハイパフォーマンスなイメージは相応しくないといった価値観に落ち着いた経緯があった。

が、この後にSRX第2世代が目指したスーパーシングルを、ヤマハは1995年に投入したのだ。
ただ日本国内向けではなく、ヨーロッパのイタリアで生産され、僅かに逆輸入車として日本上陸も果たしたが、ほぼ多くのファンはその存在すら知らなかった。

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サウンドオブシングルの流行りでスーパーモノ気運高まる

1990年代、ヨーロッパやアメリカでも、シングル(単気筒)だけで競うSOS(Sound Of Singles サウンドオブシングル)が一躍人気となった。
ヨーロッパ選手権までエスカレートして、ビモータは1993年にBMWのF650単気筒を搭載したBB-1を発表、ドゥカティも市販レーサーのスーパーモノを投入するほど熱気を帯びていた。

そんな海外でのスーパーモノ(シングル)へ実はヤマハも参入していたのだ。
仕掛け人はイタリアのベルガルダ(ヤマハの輸入元)で生産もイタリア。

エンジンはXTZ660テネレ用(ボア×ストローク:100×84mm)をベースにチューン。
660cc水冷SOHCはヤマハらしく5バルブ単気筒で、1990年にモデルチェンジした2世代目のSRX600と同じく、オイルタンクをエンジン前方の左下へマウントするレイアウトだ。

フレームはアルミのデルタボックスと、レース出場を意識した構成となっていた。

日本ではSRXがトラディショナルな中に新しい感性を調和させたスタイルを構築していたが、ヨーロッパではシングルでも車格を感じられるよう、ボリューム感を持たせたデザイン構成としていた。