求められた性能から、スポーツカーのキーワードとなったGT

ベレットGTR(GT typeR)と後方にはスカイラインGT-R(KPGC10)、1960年代を代表する2台のGTはともに「R」を背負った flickr.com Author:Cars Down Under CC BY-SA 2.0

最近は名乗るクルマも少なくなりましたが、クルマ好きの血を熱くたぎらせるキーワードのひとつが「GT」(グランツーリスモ)です。

本来は長距離巡航に適したモデルを指した「GT」ですが、動力性能や耐久性、走行安定性といった高速巡航に必要な要素はスポーツカーにもうってつけで、いつしか「GT=スポーツモデル」というイメージが定着していきました。

日本でも、戦後高度経済成長期のモータリゼーションで自動車産業が活発化した1960年代半ばには「GT」を名乗るモデルが登場、その先駆けとなったのが「スカG」ことプリンス(後に日産)のスカイラインGTと、「ベレG」こといすゞのベレットGTです。

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レースでGTカー最強を狙った「スカG」

舞台を富士スピードウェイに移した第3回日本グランプリ(1966年)でも、サポートレースの特殊ツーリングカークラスで優勝した「スカG」

1963年、鈴鹿サーキットで開催された「第1回日本グランプリ」で惨敗を喫し、販売面での悪影響も大きかったプリンス自動車ですが、グロリアスーパー6(2代目)やスカイライン1500(2代目)といった、挽回を可能にする新型車は既に準備ができていました。

しかしグランプリ惨敗からのイメージ回復にはそれでも足りぬとばかり、市販の一般的な乗用車によるツーリングカークラスのみならず、スポーツカーが競うGTカークラスへのエントリーも目論みます。

当初はスカイライン・スポーツ(初代)や、試作に終わったスポーツクーペに、グロリアスーパー6用の2リッター直6SOHCエンジン「G7」搭載を検討しますが、どちらも現実的ではないと、スカイライン1500への同エンジン搭載を決定。

ただし、2代目スカイラインは大幅にダウンサイジングされており、そのまま直6エンジンを搭載するのは不可能、ならばと手作業の鈑金でフロントを延長してG7を押し込み、レース出場に必要な100台を急きょ生産したのが、「スカイラインGT」でした。

1964年5月開催の「第2回日本グランプリ」GT-IIクラスへ出場したスカイラインGTは、前年に輸入スポーツカーに大勝して名を挙げたダットサン フェアレディ1500(SP310)を圧倒したものの、トヨタワークスの式場壮吉がプライベートで持ち込んだポルシェ904に敗北。

しかし、敗れたとはいえ海外の高性能ミッドシップ・スポーツに対し大健闘、1周だけとはいえトップも走ったスカイラインGTは「レースに負けて勝負に勝った」とも言える称賛を浴び、そこから現在に至るまで国産GTを象徴する、「スカG伝説」が始まりました。

なお、スカイラインGTは試作車やレース参戦車も含め100台限定生産でしたが、瞬く間に完売しても問い合わせが殺到!

レース用オプションの3連ウェーバーキャブを装着した量産型スカイラインGT…後のスカイラインGT-Bが1965年2月に発売され、安くて扱いやすい廉価版…スカイラインGT-Aも同年9月に追加されています。

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