ルーツは95年前!? 寝台列車歴50年超の「出雲」 電車になって25年 この先どうなるのか

ついに特急へ 編成も豪華!

 そして1964(昭和39)年10月より、2等座席車(現在の普通車に相当)3両、1等寝台車1両、1等座席車(現在のグリーン車に相当)1両、食堂車1両、2等寝台車6両の12両編成に進化。急行とはいえ、新鋭10系軽量客車を連ねた堂々たる豪華編成に成長したのです。

 1972(昭和47)年、急行「出雲」はいよいよ特急に格上げされ、客車も20系となります。12両編成で、電源車1両、A寝台車1両、食堂車1両、B寝台車9両という編成でした。なお、特急化直後はドイツの技術で作られたDD54形ディーゼル機関車が山陰本線内を牽引していましたが、トラブルが続き1年でDD51形に変更されています。

 客車は1975(昭和50)年に24系24形、1976(昭和51)年に2段式B寝台車の24系25形に変更されます。「出雲」の24系25形は、寝台特急「はやぶさ」「富士」と共通運用だったため、当時は非常に希少だった個室A寝台車を連結した豪華編成となります。

 1978(昭和53)年、東京~米子間の寝台特急「いなば」が出雲市まで延長され「出雲2・3号」となり、「出雲」は2往復となりました。

「出雲1・4号」に連結された食堂車の連結区間は東京~米子間に短縮されますが、「大山おこわ定食」などの郷土料理も提供されたようです。「出雲2・3号」は14系3段式B寝台車でしたが、1984(昭和59)年ごろに2段式に改造されて、居住性が向上します。

 1987(昭和62)年、「出雲1・4号」の食堂車がグレードアップされます。この年、国鉄が分割民営化され「出雲1・4号」がJR東日本、「出雲2・3号」がJR西日本の客車で運行されることになりました。

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285系も四半世紀が経った

 1989(平成元)年、「出雲2・3号」のB寝台車1両が、格安きっぷ「出雲B3きっぷ」で利用できる3段式B寝台車になります。「出雲B3きっぷ」は好評で、「出雲」は“最後まで3段式B寝台車を連結した寝台特急”となりました。

 そして1991(平成3)年3月、開放形B寝台のみだった「出雲2・3号」に、A個室寝台車「シングルデラックス」と、1・2人用B個室寝台車「シングルツイン」、2人用B個室寝台車「ツイン」が連結されます。しかし6月、利用客の減少で「出雲1・4号」の食堂車が営業終了し、売店車となりました。

 1998(平成10)年、後継となる285系寝台電車が投入されると、「出雲2・3号」は「サンライズ出雲」に変わります。「出雲1・4号」は東京~浜田間から出雲市までに短縮され、列車名は「出雲」に戻りました。この年に食堂車の売店営業が中止され、フリースペースとなります。ただし、その後も下り列車の浜坂~鳥取間では、駅弁と飲み物が販売されていました。

 2006(平成18)年、とうとう「出雲」が廃止されます。同時に「サンライズ出雲」が通らない鳥取などの需要を拾うため、「サンライズ瀬戸・出雲」と上郡駅で接続する特急「スーパーいなば91・92号」が運行されましたが、利用は伸びず廃止されています。

 2014(平成26)年より、285系の予備編成を使って、多客期に「サンライズ出雲91・92号」が運行されるようになりました。これは臨時列車なので、運転停車など運行上の都合で所要時間が長く、東京~出雲市間は14時間46分(定期「サンライズ出雲」は11時間8分)、逆は15時間40分(同・12時間13分)かかります。

 脈々と続く「サンライズ出雲」ですが、現行の285系も登場から四半世紀が経過しました。コロナ渦でも安定した乗車率を誇る人気列車、なんとか存続してもらいたいものです。