「留萌本線」23年区間廃止に現実味 存続にこだわらない留萌市 残される自治体との“違い”

2016年に一部区間が廃止された留萌本線で、残り区間の段階的な廃止が検討されています。現在の終点がある留萌市と途中区間の沼田町、秩父別町。存続運動において各自治体に温度差があり、「早期廃止」「3年存続」で対応が分かれることになりました。

留萌~石狩沼田間の廃止、早ければ来年にも?

 JR函館本線の深川駅から日本海側に延びる留萌本線。末端部にあたる留萌~増毛間が2016(平成28)年に廃止されましたが、残る深川~留萌間50.1kmも段階的な廃止が検討されています。2022年7月現在、早くて2023年3月に石狩沼田~留萌間を廃止し、東側の深川~石狩沼田間も3年程度の期限を設けて、2026年以降に廃止するというプランが浮上しています。

 留萌本線は長らく営業成績の低迷が続き、2016年に公表された資料「当社(JR北海道)単独では維持することが困難な線区について」では、根室本線 富良野~新得間などとともに「鉄道よりも他の交通手段が適している」線区に挙げられていました。これを受け沿線の2市2町(西から留萌市、沼田町、秩父別町、深川市)では定期的に検討会議を行ってきましたが、早ければ次回の開催で、各首長間の合意などの動きがありそうです(2022年7月16日付北海道新聞ほか)。

 日本海沿いに位置する北海道留萌市は、かつて周辺に数々の炭山を擁し、留萌鉄道(恵比島駅で接続)、天塩炭鉱鉄道(留萌駅で接続)から乗り入れる石炭・木材などの貨物列車で賑わっていました。また漁業もスケソウダラなどの水揚げ・加工で知られ、留萌市の人口は最盛期には約4.2万人(1967年)に達していました。

 しかし炭鉱の閉山などを受けて石炭・木材の積出が消滅し、漁業も1977(昭和52)年の「200海里規制」から不振が続き、山・海ともに基幹産業を奪われることに。留萌本線の輸送密度(1kmあたりの1日平均旅客輸送人員)は昭和50年代初頭まで2000を維持していたものの、JR発足の頃に400を切り、コロナ禍前の2019年には137まで落ち込んでいます。留萌市の人口も2021年には2万人を下回り、衰退の影響をそのまま受けている状況です。

 他方、留萌本線には通学需要があります。途中の沼田町、秩父別町から深川市、滝川市へ通学する生徒が多く、2007年には朝ラッシュ時に混雑で高校生26人を積み残すという事案も発生しています。しかし現在ではこの通学利用も減少し、2018年3月に函館本線で早朝の増便が実施された際も、列車の増便ではなく定期利用者向けのバス増便で対応しています。生活の足としての鉄道の存在は、徐々に薄くなっていたと言えるでしょう。

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高速道路で運転リスク減少、その前から縮小は始まっていた

 こうした状況下、2021年には留萌市が前述の対策会議を“一時的に”離脱し、実質的に廃止を受け入れた状態となっていました。なぜ途中区間の沼田町、秩父別町と留萌市で対応に差が出たのか、鉄道以外の高速道路・バスの状況も踏まえて見ていきましょう。

 近年の留萌市の移動事情で最も大きな変化といえば、やはり2020年の深川留萌自動車道の全通でしょう。留萌本線だけでなく国道233号などと並走する高速道路です。ほぼ全線を無料で利用でき、冬場の除雪もある程度行き届いていることもあって、隣町への移動などで車の運転のリスクがかなり減ったと言えるでしょう。留萌市では年で0.5~1%ほど自動車保有率が増加していますが、高速道路の開通でその傾向はさらに強くなりそうです。

 とはいえ留萌本線はそれ以前から、減便や交換設備の撤去といった縮小が行われていました。大きな引き金となったのは、札幌方面へ直通する都市間バス(高速バスに相当)の登場ではないでしょうか。

 かつて留萌本線には、深川から函館本線に乗り入れる急行「るもい」や、羽幌線(1987年廃止)・羽幌駅から直通する「はぼろ」など、札幌に向かう列車が運行されていました。一方で都市間バスは、1984(昭和59)年に北海道中央バスが留萌ターミナル始発の「高速るもい号」を、沿岸バスが豊富始発・羽幌経由の「特急はぼろ号」を相次いで設定。これまで鉄道が担っていた札幌方面への直通の需要を徐々に奪っていきました。

 そして1986(昭和61)年には留萌本線から急行列車が姿を消し、深川駅での乗り換えが必要に。翌年の国鉄羽幌線の廃止で、留萌市は「羽幌方面からの乗り換えターミナル」の役割も失いました。かたや高速道路は1989年に道央道から深川西ICまで、2005(平成17)年には留萌市の手前・北竜町まで達し、留萌市内の区間もバイパスとして先行整備。都市間バスの冬場の運行も徐々に安定してきます。こうして、鉄道は中・長距離輸送の役割を終えました。