2024年7月19日(金)上映開始『ヤマトよ永遠に REBEL3199』第一章 黒の侵略 (C)西崎義展/宇宙戦艦ヤマト3199製作委員会

【画像】え、「不適切」プロデューサーと似てる? これがイケメン「デスラー総統」のビジュアルです(4枚)

『宇宙戦艦ヤマト』の初航海から50年

 西暦2199年、人類の命運を託された宇宙船がはるかマゼラン星雲にあるイスカンダル星を目指し、地球から旅立ちました。SFアニメの金字塔となった『宇宙戦艦ヤマト』(日本テレビ系)の放映が始まったのが、1974年10月6日、日曜の夜7時30分です。太平洋戦争で撃沈した戦艦大和が、宇宙船に改造され、人類を救うために大宇宙へ繰り出すという破天荒なストーリーに、多くの人が魅了されました。

 2024年は『宇宙戦艦ヤマト』のTV放映から50周年にあたることから、さまざまなイベントが組まれています。リメイクシリーズ『ヤマトよ永遠に REBEL3199』の第一章「黒の侵略」が7月19日(金)より上映され、庵野秀明監督が「企画・責任編集」した『宇宙戦艦ヤマト』画集などの出版も予定されています。

 現代まで続くアニメブームの発火点となった『宇宙戦艦ヤマト』を語る上で、忘れられないのが西崎義展(にしざき よしのぶ)プロデューサーです。数々の逸話を残した西崎プロデューサーとは、どんな人物だったのでしょうか。

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いつも「プライベート秘書」をはべらせていた!?

 西崎プロデューサーほど毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物は、日本のアニメ界では珍しいといっていいでしょう。元々は音楽畑のプロデューサーで、歌唱ショーなどの地方公演を手掛けていました。創価学会系の音楽文化団体「民音」にパイプを得て、手広くビジネスを広げた西崎プロデューサーでしたが、金銭トラブルから欧州に逃亡。帰国するも音楽業界には戻れず、黎明期だったアニメ界に潜り込みます。その入り口となったのが「虫プロ」の子会社「虫プロ商事」でした。

 子供たちに夢を与えるようなアニメづくりに勤しむ人たちが多かった1970年代のアニメ界において、西崎プロデューサーは異質な存在でした。TV局員を銀座の高級クラブで接待し、裏金を渡すこともあったようです。成功のためなら手段を選ばない男でした。交渉術に優れた西崎プロデューサーは、手塚治虫原作の『ワンサくん』や『海のトリトン』のTV放送を次々と決めていきます。

 そして倒産寸前だった「虫プロ」で、ベテランアニメーターの山本暎一氏と連名で企画した『宇宙戦艦ヤマト』を、読売テレビに売り込み、自身が立ち上げた会社「オフィス・アカデミー」でのTVアニメ化に漕ぎ着けます。西崎プロデューサーのアシスタントを務めた山田哲久氏とフリージャーナリストである牧村康正氏の共著『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』(講談社)には、西崎プロデューサーの素顔が詳細に描かれています。

『ヤマト』の成功で富と名声を手に入れた西崎プロデューサーは、豪華クルーザーや高級車を乗り回すだけでなく、プライベート秘書と称して容姿の優れた女性秘書を多数採用。その多くは、既婚者である西崎プロデューサーの愛人になったそうです。コンプライアンスという言葉がなかった時代でも、これは「アウト」でしょう。



著:豊田有恒『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』(祥伝社新書)