ヒンメル一行の全盛期。思い出の中ではいつも若々しい。画像は『葬送のフリーレン』初回放送の場面カット (C)山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会

【画像】えっ、どこが変わった? 出会った当初と魔王討伐後のヒンメルを見比べる(5枚)

ヒンメルの成長過程が描かれないのはフリーレンのせい?

 魂が眠るという北の地を目指す旅のなか、フリーレンはたびたび魔王討伐の記憶を追想します。フリーレンの思い出のなかで、ヒンメルたちは年を取らず常に若々しい姿のままですが、よく考えればこれは少し不思議なことです。魔王討伐まで10年の歳月が過ぎました。旅のなかでヒンメルは16歳の少年から26歳の成人男性へと成長していきます。だいぶ風貌も変わったことでしょう。

 なぜ作中で彼らは全盛期と、老いた姿しか描かれていないのでしょうか。フリーレンにとっての時間の価値などを踏まえて、振り返ります。

当時のフリーレンはよく観察していなかった

 フリーレンが人間にとって貴重な時間の価値を知ったのは勇者ヒンメルを失ってからのことです。彼女にとって10年はあまりにも短い時間でしたが、限られた時間を生きるヒンメルや僧侶のハイター、戦士であるアイゼンにとっては相当に長い時間だといえます。

 年齢を重ねるごとに1年が短く感じるようになった、という経験がある人は多いのではないでしょうか。19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネーが発案した「ジャネーの法則」では「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」とされています。

 この法則に従えば76歳で没したヒンメルにとって、旅の10年は人生の7.6分の1に相当しますが、1000年を生きるフリーレンにとっては人生のわずか100分の1でしかありません。体感時間の長さが10倍以上も違うのです。まさに彼女がヒンメルの葬儀の時に発言したように「たった10年一緒に旅をしただけ」なのです。

 そのため当時のフリーレンはヒンメルたちの日々の変化を見逃しており、よく観察していなかった可能性があります。だから全盛期の姿と再会した時の姿しか記憶していなかったのかもしれません。



新しい旅の仲間たちもフリーレンの思い出に加わるのだろうか。画像は『葬送のフリーレン』16話の場面カット (C)山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会

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老いていくハイター、成長するフェルンやシュタルク

 思い出のなかでまったくビジュアルが変化しないヒンメルに対し、ハイターは老いていく姿が丁寧に描かれました。魔王討伐から50年が過ぎたときのハイターと、10年後に幼いフェルンを託したときのハイターは明らかに違いますし、その4年後に寝たきりになったハイターは更に老いています。

 この描写の違いは客観的な表現だけでなく、フリーレンの主観によるものが大きいのではないでしょうか。よく意識していないまま、あっという間に死んでしまったヒンメルに対し、しっかりと時間の重みを感じながら看取ったハイターの違いかもしれません。

 老いていくハイターとは逆に、現在フリーレンがパーティーを組んでいるフェルンやシュタルクには成長の様子が見られます。ハイターを看取ってから、フリーレンは当時13歳のフェルンを伴って旅立ちました。一級魔法使い試験の時点でフェルンは18歳です。初めて出会った時と比べて明らかに身長が伸び、女性らしい体つきになっています。またシュタルクも旅に合流してから若干の成長が見られます。

 作中の描写がフリーレンの主観をある程度反映しているとすれば、フリーレンはかつての過ちを犯すことなく、ハイターとの最後の日々や新たな旅の時間を丁寧に体感しているのでしょう。

思い出が美化されているから

 フリーレンが失った時間の価値を悟ったことで、思い出が美化されている可能性もありえます。過去はもう二度と戻れない(単行本12巻の展開などは例外)から、いっそう輝かしく感じられるものです。

 フリーレンが過去を思い出す度にかつてのヒンメルたちとの出来事が、当時よりも高い解像度でリフレインされているようです。もしかしたらヒンメルの死後のほうがフリーレンのヒンメルに対する理解や感情が深まっているかもしません。

 同じ時間を共有しながらも無自覚に過ごしてしまった時間を取り戻すことは出来なくても、もう一度会って話をしたい。「魂の眠る地(オレオール)」を目指す北への旅はフリーレンの切実な願いから始まりました。

 フリーレンの師匠であるフランメの残した言葉からは、フリーレンがこの旅をすることは予定調和の一部だった可能性がありますし、最新の展開からは魔族の未来とも何らかの関係がありそうです。今後もフリーレンの旅は見逃せません。