「講談社Mook 本郷猛/仮面ライダー1号」より (C)石森プロ・テレビ朝日・ADK・東映

【画像】え…っ? 眼力かっこよ!これが69歳にして「変身ポーズ」を披露した藤岡弘、さんの雄姿です(3枚)

映画業界のご法度を乗り越えて仮面ライダーに?

 1971年に放送が始まったシリーズ1作目『仮面ライダー』の主人公といえば、仮面ライダー1号に変身する本郷猛です。俳優の藤岡弘、さん(当時は藤岡弘)が演じていることも有名ですが、やはりシリーズ1作目ということもあり大変なことがたくさん起こったそうです。以前放送された『極上空間』(BS朝日)に仮面ライダーV3を演じた宮内洋さんとともに藤岡さんが出演した際し、『仮面ライダー』に抜擢された経緯や苦労話などを語っていました。

 アクションができる俳優という印象が強い藤岡さんですが、1965年のデビュー当時は松竹映画で青春スターの路線として売り出されました。しかし藤岡さんはアクションに興味があり、のちに東映の『仮面ライダー』のオーディションを受けて合格します。当時の映画界は俳優の移籍が難しかった時代だったのにもかかわらず、松竹に在籍する藤岡さんは他社である東映のオーディションを受けるという「掟破り」をしでかしてしまったのです。

 結局、松竹を辞めて『仮面ライダー』に出演することになりますが、当時を振り返った藤岡さんは「ある方が私をもらい下げに行ってくれた」「みなさんにご迷惑をかけてね」と語っていました。

 またオーディションを経て仮面ライダー役を演じた藤岡さんは、当時の撮影について「戦場だった」とも振り返っています。限られた予算で制作していた『仮面ライダー』はスタントマンを使わず、アクションのすべてを藤岡さんひとりで担当しなくてはなりませんでした。

「苦労したこと」といえば仮面ライダーのスーツがレザー製で動きづらかったため、藤岡さんは「汗かくとピタッーとくっついて締まってくる」「あれには困った」と話しています。他には仮面ライダーのマスクを被った際に自分の吐く息で前が見えなくなったこともあり、怖い思いをしたとも語っていました。

 撮影は試行錯誤を重ねることが多く、藤岡さん自身も「恐怖の実験台」とも言っていましたが、ついに撮影中に「大腿骨複雑骨折」の重傷を負う大事故が起きてしまいます。早急に治療をしなければいけない状況になり、藤岡さんは当時の最先端医療を受けることになりました。藤岡さんいわく、その医療技術は正式に採用されたものではなかったのか、それも「試す」という形で実施されたそうです。

 本郷はショッカーによって改造人間にされてしまいますが、彼を演じた藤岡さんも「改造(骨折部分に針金を埋め込んでいる)」したと思うと、不思議にもそれぞれに重なる部分があって面白いものがあります。



「仮面ライダー2号」一文字隼人を演じた佐々木剛さんが役者人生などを語る書籍『仮面ライダー2号伝説』(白夜書房)

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撮影中の大事故がきっかけで生まれた「変身ポーズ」

 大事故によって藤岡さんが抜けることになり、そこで苦肉の策として誕生したのが仮面ライダー2号です。一文字隼人が変身した姿である2号は佐々木剛さんが演じていますが、彼の登場によって仮面ライダーの醍醐味である「変身ポーズ」が生まれることになったのです。

 というのも、藤岡さんが怪我をする前までの仮面ライダーは「2輪車で走りながら風を受けることでベルトの風車が回転して変身する」という流れでしたが、藤岡さんの助っ人である佐々木さんは撮影当時にバイクの免許を持っていなかったため「バイクに乗りながらの変身」ができなくなりました。

 そこで考案されたのが、地上に降り立っておこなう「変身ポーズ」です。それ以降は藤岡さんが復帰してからも変身ポーズが定着したのですが、復帰した時に佐々木さんの変身ポーズを見た藤岡さんは「彼が立派な変身ポーズをとるんだよ」「あまりにも見事な変身ポーズ」と番組内で振り返っていました。

 ちなみに仮面ライダーの変身ポーズは、殺陣師の大野剣友会・高橋一俊さんが考案したことで有名です。藤岡さんによれば、1号の変身ポーズには「歌舞伎の見得」と「眠狂四郎」の「円月殺法」という円を描くように刀を回す動作を取り入れたそうです。

 初代『仮面ライダー』は試行錯誤の連続でしたが、藤岡さんや佐々木さん、制作陣によって積み上げられたものが、のちの「仮面ライダー」シリーズに繋がっていると思うと感慨深いものを感じます。