ノリスケもいなくなった! レギュラー大量離脱の衝撃エピソード

 松本が引退した85年3月31日には「早春伊豆長岡の旅」(前後編)が放映されました。この回は、登場人物が次々と去っていく衝撃的なエピソードです。

 まず、磯野家の隣に住んでいた浜さん一家が伊豆長岡町に引っ越しして姿を消します。カツオの憧れだったミツコや愛犬のジュリーも一緒です。三河屋の御用聞き・三平も結婚のため、郷里の山形に帰っていきました。そして、なんとノリスケ、タイコ、イクラの波野一家も転勤のため、名古屋に引っ越してしまったのです。レギュラーが同時に7人も姿を消したので、リアルタイムで見ていた筆者は「『サザエさん』が終わる?」と動揺したことを覚えています。

 その後、伊佐坂一家や御用聞きの三郎が同年7月に登場、波野家も9月に戻ってきましたが、このときの『サザエさん』の大きな変化が、最終回の噂につながったと考えることもできるのではないでしょうか。

なぜ『サザエさん』の最終回は悲惨?

 それにしても、なぜ『サザエさん』の最終回の噂は、どれも悲しい終わり方なのでしょうか。

 岡田幸四郎は『ノーライフキング』の解説で、「(『サザエさん』の最終回の噂には)”死”のイメージもふんだんにちりばめられているが、それ以上に、時間に対する強い意識が漂っている。(中略)そして、時間が先に進まない円環の構図を持つ『サザエさん』を拒否した。”死”(筆者注:子供時代の終わりという意味)に向かって進まざるをえない子供たちは、永遠に小学生でいられるカツオを、ある面で許しがたい存在だと見なしたのではないだろうか」と記しています。

 都市伝説に詳しい作家の山口敏太郎は、日曜の夕方に『サザエさん』のエンディングテーマが流れると明日からの学校や会社のことを考えて憂鬱になる「サザエさん症候群」と関連付け、「明日から憂鬱な仕事だと思うと、あの予定調和の磯野家の平和を破壊したいという気持ちが芽生えるのかもしれない」と指摘しています(『マンガ・アニメ都市伝説』ベスト新書)。

 ひとつ目の噂は、ある意味、とても子供らしい発想だと思います。先に述べた「ひょうりゅう記」から発想を得た部分もあるのかもしれません。

 ふたつ目の噂は、漫画家のしりあがり寿が多摩美術大学の漫画研究会時代だった76年に描いたパロディマンガ「サザ江さん」が元になっているのではないかと指摘されています(東京サザエさん学会『磯野家の謎』飛鳥新社)。たしかにサザエさん一家が悲惨な末路をたどる内容がよく似ています。なお、70年にはテディ片岡(片岡義男)原案による『サザエさま』というパロディマンガが発表されています。こちらはサザエが機動隊に巻き込まれて死亡する話でした。『サザエさん』には嗜虐的な想像力を誘発する何かがあるのかもしれません。

 3つ目の噂は、『ドラえもん』の最終回についての噂「植物人間になったのび太の夢」と酷似しているため、『ドラえもん』の噂のバリエーションとして流布したのではないかと考えられます。

 アメリカの心理学者のオルポートとポストマンは、噂の流通量は、重要さとあいまいさに比例するという「うわさの法則」を提唱しています。80年代の子供たちにとって『サザエさん』は非常に重要なものでした。なにせ86年の『サザエさん』の最高視聴率は34.4%という超人気番組だったわけです。一方、最終回についての情報は非常にあいまいでした。原作にも明確な最終回はなかったので、『サザエさん』の最終回がどうなるか誰にもわかりませんでした。

『サザエさん』の最終回は子供たちにとって非常に重要かつあいまいな関心事でした。そこに時間が先に進まない『サザエさん』を拒否したい心理や、磯野家の平和を破壊したい子供たちの願望が重なり、子供たちの噂のネットワークを伝わって、いくつもの最終回の噂が生まれたのではないのでしょうか。

 何事にも終わりはあります。いつかアニメ『サザエさん』の最終回が作られる日が来ると思いますが、そのときは悲惨なものではなく、楽しいものであってほしいと思います。