空母は「厚いほどスゴイ」? 時代のあだ花「装甲空母」いろいろムリがあったワケ

空母は可燃物である弾薬庫や燃料庫を持つ関係で、大型空母でも被弾に弱いのが難点でした。それを解消するのが飛行甲板を厚くした「装甲空母」です。ほぼ第二次世界大戦時だけ活躍したこの艦種を振り返ってみましょう。

最初は英国が試みた装甲空母

「装甲空母」とは、飛行甲板に装甲を施した航空母艦のことで、1924(大正13)年に登場したイギリス海軍の空母「イーグル」が、飛行甲板に38mmの装甲を施した事例があります。しかしこれは例外で、一般的には1940(昭和15)年に就役した同じくイギリス海軍の「イラストリアス」級が最初とされます。

 イラストリアス級が登場する前、空母の飛行甲板には装甲がありませんでした。大型空母でも、例えばアメリカ海軍の「レキシントン」級で、飛行甲板より下にある下甲板に32mmの装甲を有する程度だったのです。

 しかし、これでは敵の爆弾などを受ければ飛行甲板に穴が空き、艦載機の離発着が不可能になります。それでもイラストリアス級まで装甲が採用されなかったのは、空母としての性能に悪影響が出るためです。

 アメリカは1937(昭和12)年に就役した「ヨークタウン」級空母で、飛行甲板装甲化を検討しました。しかし装甲だけで1460t増加し、装甲を支える構造物を合わせるとその数倍の重量増加となることが問題とされます。基準排水量1万3800t~2万7000tで検討された同級にとって、数千tの増加は搭載機数の減少などの問題が多かったのです。

 飛行甲板装甲化は、艦載機を上げたり降ろしたりするエレベーターや、着艦時に使用する着艦制動策の装甲化が難しく、効果があるのかも疑問視されました。実際、イラストリアス級ではエレベーターは非装甲とされています。

 また、「イラストリアス」とその直前に建造された通常型空母「アーク・ロイヤル」を比較すると、装甲空母が空母としての性能で劣ることも分かります。「アーク・ロイヤル」が基準排水量2万2000t、搭載機60機(露天駐機で72機程度)、格納庫面積5689平方メートルであるのに対し、「イラストリアス」は基準排水量2万3207t、搭載機数36機(露天駐機で60機弱)、格納庫面積2627平方メートル。飛行甲板装甲は重要部で76mm、それ以外は38mmでした。

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日本も建造した

「イラストリアス」の方が排水量では大きいのに搭載機数が減っています。これは、高い位置にある飛行甲板を装甲化すると重心が上がり転覆しやすくなるため、「アーク・ロイヤル」で2段あった格納庫を1段に減らしたからです。

 この搭載機数減少が問題となり、第二次世界大戦勃発を受けて艦形を拡大した「インプラカブル」級では最大81機(露天駐機込みで機種制限あり)、格納庫面積3825平方メートルまで増えていますが、2段格納庫に戻した影響で、同時に基準排水量も2万7000tにまで増えています。軍縮条約が有効な時期において、排水量増大は認められず、装甲を施すデメリットは大きかったわけです。

 旧日本海軍が装甲空母を検討したのも、無条約時代になってからです。1938(昭和13)年8月に設計された基本計画番号G12は、防御力が問題視された「翔鶴」型空母に飛行甲板装甲を追加した艦型でした。この時期の日本では、飛行甲板に数十mm程度の対爆弾防御を備えた空母が主流となり、さらに100mm以上の重装甲飛行甲板を備えた重防御空母が次世代の主流になると考えていたのです。このG12が発展し、「大鳳」型空母となります。

 2隻のスペックを比較しましょう。「翔鶴」の基準排水量は2万5675t、搭載機数は77機(マリアナ沖海戦前)、格納庫面積は5545平方メートル。飛行甲板装甲はありません。一方の「大鳳」は基準排水量が2万9300t、搭載機数が59機(マリアナ沖海戦前)、格納庫面積5250平方メートル。飛行甲板装甲は75+20mmです。

「大鳳」は排水量が大きいだけに、「翔鶴」と同じ2段式格納庫を備えていますが、飛行甲板装甲が150m×18mの範囲に限定されたため、その下にある格納庫形状が悪く、搭載機数は同一条件だと常用で10機、補用で17機程度少なかったともいわれます。ただ露天駐機で12機搭載できるので、問題はないとされていました。搭載機数が多くても、飛行甲板に並べられる機数しか同時発進できず、先制攻撃時の戦力としては大差ないこともあるからでしょう。