“姿良し声良し”の代表格、キビタキ|大橋弘一の「山の鳥」エッセイ Vol.10

自己陶酔するほど美しい?

水浴びをするため森の水場にやって来た。ナルキッソスの伝説を思い起こさせる場面

キビタキの姿の美しさは、自己陶酔するほどだといわれることがあります。鳥が自分のことをそんなふうに思うことはないはずですが、これには理由があります。

キビタキの学名narcissinaおよび英名のNarcissusが、ギリシャ神話に登場する少年ナルキッソスの名にちなんだものだからです。ちょっと面白い話なのでご紹介しますね。

ナルキッソスは類いまれな美貌の少年でしたが、言い寄ってくるニンフ(妖精)たちに全く関心を示しません。しかしあるとき、泉の水を飲もうとして鏡のような水面に写った自分の姿を見て、あまりの美しさに心を奪われてしまいます。その姿に恋い焦がれ、離れられなくなり、やがて憔悴しきって死んでしまう…。

真正面から見るとまさに黄色い鳥

現代人には荒唐無稽とも思えるこの物語は広く知られ、自己陶酔を意味するナルシシズムという言葉が生まれ、ナルシスト(自己陶酔者)の語源ともなりました。ナルキッソスが死んだ泉のほとりには彼の生まれ変わりである水仙の花が咲いたと伝えられ、以来、水仙をnarcissusとよぶようになりました。

この話がキビタキと結びつくのは、一般には水仙の黄色をキビタキと重ね合わせたからとされます。しかし、ギリシャ神話を丁寧に読むと、ナルキッソスが死んだ場所に咲いた花は一輪の「白い」水仙と書かれているのです。こうなると水仙とキビタキを関連付ける理由がなくなってしまいます。いったいどういうことでしょうか。

考えられることはただひとつ。じつは水仙の花とは関係なく、キビタキの美しさが自己陶酔するほどだという解釈です。キビタキの美はそれほどまでに人々を魅了するものだと考えられたということではないでしょうか。

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さえずり声の不思議

前だけでなく背から腰も黄色

さて、キビタキの美しさはこのように言い伝えられるほどですが、続いて、今度はその鳴き声、特にさえずりについて、私が感じていることを述べたいと思います。

どの図鑑にも、キビタキのさえずりにはバリエーションが多いと書かれています。一例として「ピィチュリ、ピーピピリ」「ピププリ、ピププリ」「ピッ、コロロ」「ツクツクチー」「チーチョホイ、チーチョホイ」「ポー、ピッピッコロ」「ピッピキピ」等々、たまたま手元にある図鑑を2、3冊見ただけでも、これほど多くの鳴き声が紹介されています。

私が擬声語で表現するなら「ピリリ、ピーチュリ、ピッププリ、ピッププリ」とか「フィーピーヒ、フィーピーヒ」、「クリリ」「ケロロ」「オーシ、ツクツクツク」といったところでしょうか。拙著『北海道野鳥ハンディガイド』(北海道新聞社)には字数の関係でこうした鳴き声の一部だけを記しました。

鳴き方の特徴は、1フレーズは決して長くはないのですが、それを繰り返して鳴き続ける、あるいはそれらを組み合わせて長く鳴く、というようなイメージです。複雑な鳴き方を巧みにこなす非常に上手な歌い手だと感じます。

クロツグミ。歌の名手で、複雑なさえずりはキビタキ以上

特に面白いのは、他の生きものの鳴き真似のような声がいくつかあることです。「クリリ」とか「ケロロ」「コロロ」という声はカエルの鳴き声に似ています。「オーシ、ツクツクツク」に至っては蝉(ツクツクボウシ)にそっくりです。

これらが本当にその声の主を真似ているのかどうかはわかりませんが、真似ているとしても、それがなぜ他の鳥の声ではなくて虫やカエルなのか必然性がわからないのです。

他の鳥の例でいえば、たとえばクロツグミはキビタキ以上に複雑で巧みな鳴き方ができる歌の名手ですが、明らかに他のいろいろな鳥の声を取り入れて(真似して)さえずります。さえずり上手な鳥は時々このような例がありますが、キビタキの場合は鳥の声を取り入れるわけではないことが不思議ですね。