日産の圧勝だった初代コロナ vs ダットサン110/210

ダットサン210(1958年オーストラリア一周ラリー参戦車の1台、「富士号」)

トヨタも負けじとSB改造車からRH系「トヨペット・スーパー」を経て初代「トヨペット・クラウン」(1955年)に至るわけですが、1.5リッター級と当時の小型車枠いっぱいの豪華デラックス路線へ向かったので、小型大衆車はちょっとお留守になります。

その間に日産は戦前型ダットサンから脱皮した戦後型の小型乗用車第1号、「ダットサン110」(1955年)を発売、エンジンこそDB系と同じ860ccでしたが、1957年にはイギリスのオースチン社製乗用車の国内生産実績を活かし、1,000ccエンジンの210を発売。

小型タクシー業界向け乗用車で水を開けられたトヨタも、クラウンの成功により1年ほどでお役御免となった同クラス実用セダン「マスター」のパーツを流用、旧式ながら信頼性の高い1リッターS型エンジンを積む初代コロナ(1957年)を発売して対抗します。

しかし、同社初のモノコック構造という点を除けばエンジンも内外装も古くて見るべき点がなかったコロナに対し、細心のOHVエンジンを積み、オーストラリア1周ラリーで抜群の耐久性をアピールしたダットサン210は市場での評価も高いものでした。

まだ「ブルーバード」の名は出ていないものの、BC戦争の第1戦はダットサン(日産)の圧勝だったのです。

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信頼性でまた日産圧勝、2代目コロナ vs 初代310ブルーバード

ダットサン310 初代ブルーバード(女性向け特別仕様車ファンシーデラックス)

1959年にダットサン210はダットサン310「ブルーバード」初代モデルへとモデルチェンジ、210で実績を積んだ1リッターOHVエンジンに、翌年には1.2リッターエンジンも加え、何より余計な装飾もなくスマートで近代的なデザインで、完全に戦後復興期から脱却。

トヨタも1960年にコロナを2代目へモデルチェンジ、日本初とも言われる発売までから段階的にちょい見せするティーザーキャンペーンで話題を集め、やはりスマートなデザインで当初は好調なセールスを記録、ついにダットサンへ追いつくかと期待されます。

しかし、2代目コロナ初期のカンチレバー式と呼ばれる独特のリアサスペンションが耐久性不足で、タクシー業界から総スカンを食って販売は急速に低迷、オーソドックスなリーフリジッド式へと改善したものの、初期の酷評を覆すに至りませんでした。

1960年代はじめ頃の日本はまだマトモな舗装路が整備されておらず、未舗装路や維持補修の追いつかない穴だらけのデコボコ道を猛スピードで走り抜けても耐える足回りが要求されており、海外ラリーで実績を積んだダットサンの方が、そこをよく理解していたのです。

さらにトヨタはそれまでもトヨペットSAに四輪独立懸架を採用して同様のクレームを受けており、今ひとつユーザーの使用状況を理解できていない、技術先行型のクルマづくりでウケが悪いという、後年の評判とかなり異なる自動車メーカーでもありました。

悪評を挽回したいトヨタは、コロナのCMでドラム缶を蹴散らして軟弱なイメージ脱却を図り、1963年の第1回日本グランプリではライバル不在をいい事にクラス優勝して速さもアピールしますが、モデル末期とあって時既に遅し。

さらに日本グランプリでの実績も、翌年の第2回では2代目スカイライン1500(2代目S50系)に太刀打ちできずに終わるというオチで終わったのです。

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