源平の内乱や平家一族の盛衰が描かれた『平家物語』。800年以上の時を経た今でも忘れ去られることはなく、その生き様をモデルに近年では大河ドラマ『鎌倉殿の13人』やTVアニメなども制作されている。

『平家物語』の後半では、数え年で8歳の安徳天皇が祖母と入水する場面が描かれ、悲劇的な最期を迎えた天皇として記憶している人も多いだろう。

しかし、徳島県の三好市では「実は安徳天皇が生き延びていた」という逸話が残っているのだ。今回は「もうひとつの平家物語」が語り継がれる徳島の秘境を訪ねた。

平家物語に綴られた平家の栄枯盛衰



※『平家物語』(国立国会図書館)を加工して作成

『平家物語』の冒頭は、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」から始まる。作中では栄華を極めた平家一族が滅びゆく様が描かれており、どれほど栄えた者でもいつしか終わりが来るという、この世の無常を説いている。

「もうひとつの平家物語」を見ていく前に、まずは平家の歴史を改めて確認していこう。

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平家の誕生と隆盛



※『清盛日を呼び戻す図』(国立国会図書館)を加工して作成

「平」の名が使われるようになったのは、825年ごろのこと。第53代・淳和(じゅんな)天皇が、異母兄弟である葛原(かずらわら)親王の息子たちに与えた名だと言われている。

また、平氏の多くは文官に就いたが、桓武天皇の曾孫・高望王(たかもちおう)の子孫は、武家として着々と力をつけていくことに。特に武家政権が始まるきっかけともなった「保元の乱」以降、平氏は強大な権力を得ることとなった。