12年振りのWRCラリージャパン開催を盛り上げるべく、日本のレジェンド竹平素信(74歳)がタイのラリーに参戦

■竹ちゃんマンこと竹平素信選手74歳、海外ラリーを走る

●「フォーラムエイト・ラリージャパン2022」開催を前に、ラリージャパン★スペシャル応援団・国沢光宏がラリーの魅力を語る


フォーラムエイト・ラリージャパン2022

2022年11月10日(木)~13日(日)に、愛知県や岐阜県などで12年振りのWRC「フォーラムエイト・ラリージャパン2022」が開催される! すでに観戦券も販売を始めており、売れ行きは好調。

というか、観戦出来る場所を決めて販売開始しているのだけれど、どこも追加されて数時間後には売り切れてしまう状況。あまり盛り上がっている雰囲気はないものの、リエゾン(移動区間)を含む3日間の延べ観戦者数は100万人近い大きなイベントになると思っていいんじゃなかろうか?

終わってみたら「これは凄いね!」と大きな話題になり、来年の観戦券はプラチナチケットになると思う。

なぜそんな人気になるのか?

実はラリーファンって皆さん考えているより多く、興味深いことにラリーファンって文化レベル高い。全日本ラリー選手権の観客を見ると茶髪率も喫煙率も極めて低く、観戦場所にゴミを捨てていくような人だって皆無と言えるほど。ドライバーやコ・ドライバーは名の知れた企業の社会人が多く、医師さえ珍しくない。


フォーラムエイト・ラリージャパン2022

2007年までは、交通の便や宿泊施設が多いといえない帯広で開催されていたのだけれど、延べ50万人以上の観客を集めた。帯広の駅前通りでセレモニアルスタートを行った2005年など、1.5kmに渡ってビッシリと人垣が出来たほど。

人口密度高く、交通の便も良い中部地域での開催となれば、最初の開催年になる今年ですら、前述の通り100万人規模になるだろう。皆さん大騒ぎすることなく楽しみにしている、ということです。

●日本車とラリーとのかかわり合いは古く、そして多い


ラリージャパン

なぜラリー人気があるのか? あまり認識されていないものの、日本の自動車産業はラリーでクルマを鍛え、ブランドイメージを高めてきた。ホンダがF1に参戦する前から日産はサファリラリーに出場。1970年の強さときたら欧州勢が舌を巻くほど。映画『栄光の5000km』を見てクルマ好きになった人も少なくないだろう。

同時期、三菱自動車も海外でラリー活動を開始。1973年にはサファリラリー優勝を遂げている。

そんな海外での大暴れを受け、1970年代後半から大学ラリー全盛期! 街中でも補助灯を付けたりボンネットを黒く塗り、車高アップしたラリー車風のクルマを見かけることも多かった。

そして1979年より全日本ラリー選手権が始まる! GRカローラの発表会などでも紹介された通り、豊田章男社長が初めて買った自分のクルマはラリーで活躍した1979年発売の70カローラ(4代目モデル/2T-G搭載の1600GT)だったという。


竹平素信選手のカローラ

私事になるけれど、ベストカー編集部員になったのは1981年。当時の全日本ラリーで山内伸弥選手駆るジェミニZZ/Rとチャンピオン争いをしていたのが、ベストカー誌で試乗レポートも書いていた70カローラに乗る竹平素信選手。仕事柄、竹平さんの隣に乗ってグラベルを体験する機会もあり、大学ラリーしか知らなかった私は「とんでもねぇ速さだ!」と腰が抜けるほど感動した。

以後ずっとラリー好き。近年は収入の大半がラリーで消える。


写真/RAAT

長い長い前置きになった。

私をラリー貧乏にして頂いた竹平さんと新型コロナが流行る前、「引退ラリーをやりましょう!」と話をしていたのだけれど、やっと実現出来ました。全日本ラリーもいいが、やはりグラベルで70カローラを全開で走らせて欲しい。

もっといえば、日本のラリー好きの原点は昭和時代のラリーです。私としては70カローラで全日本チャンプを争っていた竹平選手の姿を、ぜひとももう一度見たい。


写真/RAAT

かくしてクラウドファンディングをお願いしたら、何とかタイでラリーに出場出来る予算が集まった(少しだけ届かず)。12年振りのWRCジャパン復活の話題作りとしてもバッチリです。

ということで、タイの国内選手権(主催はRAAT=王立自動車クラブ)に出場してきました!

●竹ちゃんマン、10年以上ぶりの本格ラリー参戦が実現した

車両は1600GTならぬ、1500ccのボディ(TE70)にアルテッツァの3Sを搭載したバージョンアップ版。ライバルも4A-Gなど搭載した「当時より速い70カローラ」です。


写真/RAAT

本格的なラリー参戦は10年振り以上という竹平さんながら、SS(スペシャルステージ/タイムアタック区間)のスタート時間が近づくと徐々に気合い入っていく。バラクラかぶってヘルメット着装すると、勝負師と呼ばれた往年の目つきです! モンテカルロラリーやRACに参戦し、全日本ラリーでTOP争いをしていた時の空気感すら伝わってくるほど。

古いクルマにつきもののマイナートラブルに悩まされながらも、終盤までクラス3位の好走を見せてくれた。


写真/西尾タクト

残念ながら最終SSを1本残し、メカニカルトラブルでリタイアとなってしまったけれど、ラリー終わって話を聞いたら「もう少しクルマをキチンと仕上げたいなぁ~」とか「まだまだやれるな!」等々、引退ラリーと違う方向のコメントばかり(笑)。

こうなればYouTubeで一発当て、クラス優勝するまでやりたくなってきました。往年の名ドライバーがこうやって走ってくれると、日本のラリーももっと幅広いファンを獲得出来るかもしれません。

(国沢 光宏)