こちらの和歌の現代語訳は、
「ひとり孤独に、会いに来てくれないあなたの来訪を待ちながら過ごす夜の長さがどれだけ長いか、あなたは知らないのでしょうね」
といったところ。
『拾遺和歌集』によれば、兼家が彼女のもとを訪れた時、わざと門を閉ざして待たせたところ、兼家が「立ち疲れてしまった」と言ったことに対して詠んだ歌とされています。一方、『蜻蛉日記』には、兼家が訪ねてきても門を開けなかったところ、兼家は別の女性のところに行ってしまったので、翌朝、色褪せた菊の花と一緒にこの和歌を贈ったとされています。
夫を待つ女性の切なさと、そんな夫に対する皮肉が込められている歌と言えるでしょう。
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将来の不安も歌に詠む
さきほどの歌と比べると知名度は低いですが、
「くもりよの月とわが身のゆくすゑのおぼつかなさはいづれまされり」
という歌もあります。
こちらは
「曇った夜空の月と、我が身の行末、頼りなさはどちらがまさっているのでしょう」
といった意味です。
昔、兼家と自分が仲睦まじかった頃が思い出されて詠んだ歌と言われています。
将来の不安を詠んだ歌ですが、当時、作者は28歳前後だったと考えられています。今の感覚で言えばまだまだ若いですが、当時としては女性が不安を覚える年齢だったのでしょう。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。