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日本で大輪の桜を咲かせたリーチマイケル選手の軌跡とアジアラグビーにかける想いとは

パラサポWEB

季節によって複数の異なるスポーツをする海外とは違い、日本の学生は1つの競技を通年で取り組むのが一般的。時にはこれが批判されることもあり、リーチ選手も「いろんなスポーツができたら面白いと思う」と語る。だが一方で、「1つの競技を1年中やる。その日本のスタイルが自分には合っています」と、日本の学生スポーツのスタイルがむしろ自身にとっては大きなプラスになったことを明かした。

また、日本の高校、大学スポーツにある特有のものといえば、先輩・後輩の厳しい上下関係。これもしばしば批判の対象になり、日本とニュージーランドにおけるスポーツ文化の違いの1つにリーチ選手が挙げた点でもある。留学生にとっては最も面食らう“システム”かもしれない。ところが、リーチ選手自身に戸惑いはまったくなかったという。

「先輩の洗濯物を洗うなんてニュージーランドでは考えられないと思います。でも、日本に行く前にお父さんから言われたことは『日本人のすることをマネしなさい』。だから、部室の掃除、洗濯、グラウンド整備、全部やりました。僕は留学生だからと気を遣われるのが好きじゃない。普通に接してほしかったし、気を遣われると仲間に入れない。日本人と同じように洗濯や掃除をすることで周りからリスペクトされるようにもなりました。そうした上下関係から学ぶチームプレーや絆もあると思う。これは日本の文化。変える必要はないと思います」

父からの言いつけをただ守っただけではない。リーチ選手には他国特有の文化をすんなりと受け入れられる柔軟性が備わっていた。それは自身が育った家庭環境も大きかったと振り返る。父はニュージーランド人で、母はフィジー人。それぞれ異なる文化、習慣を背景に持つ両親だったからこそ、リーチ選手独特の人格と柔軟性が形成されていった。

「お父さんとお母さんは文化が全く違う2人で、いろいろな文化、考えが入り混じった家庭。その中にずっと僕はいました。どっちに転んだらいいか分からなくなる時もあって(笑)、フィジーに行った時は外国人扱いですし、ニュージーランドにいる時も日本にいる時もちょっと何か違う。僕は面白い感覚を持っているかもしれないですね。だから、結構柔軟性があって、どこの国に行っても馴染めると思います。日本だけじゃなくてどこの国でもやっていける自信があります」

お互いを理解して、チームを回していく

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20年前の来日当初は「小さくて細くて、周りの生徒からガッカリされた」というニュージーランドからやってきた15歳の少年が、日本の文化に溶け込み、特別扱いされることもなく周りの日本人学生と一緒になって努力することで、高校1年から3年連続で「花園」こと全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場。大学進学後は2年生時に早くも日本代表メンバーに選出され、そしてキャプテンにまで上り詰めた。

ラグビーのナショナルチームにおいては、国際統括団体であるワールドラグビーが規定する「国の代表チームでプレーする資格」の中に「国籍」についての条件はない。以下に挙げた通り、その国で一定期間居住しプレーし続けていれば、国籍に縛られることなく外国籍の選手でもナショナルチームのメンバーに加わることができる。国籍主義ではなく、所属している協会主義。それが、他のスポーツとは大きく異なる特徴だ。リーチ選手は2013年に日本国籍を取得しているが、それまでは当時の規定だった3年間継続して日本で居住しているという条件をクリアしたことで日本代表に選ばれている。

(a)その国・地域で出生している、または (b)両親、祖父母の1人がその国・地域で出生している、または、 (c)その国・地域の代表としてプレーする直前に60ヶ月間継続して当該国・地域を居住地としている、または、 (d)その国・地域での累積10年間の居住を完了している

つまり、日本代表も含めてラグビーのナショナルチームは様々なルーツ、バックグラウンド、国籍を持った選手が混在するチームとなる。だからこそ、ニュージーランド、フィジー、そして日本と、それぞれが違う多様な文化の中で育ち、生きてきたリーチ選手はチームをまとめるキャプテンとしても適任だった。

「僕は自分が何人(ナニジン)なのかは分からない。ニュージーランド人、フィジー人、日本人とも思わないから、そんなにこだわっているものはないです。でも、日本代表をやっているといろんな文化の人がいて、結構合わない場合もありますけど、僕はチーム内でハイブリッドな社会を作りたいと思っている。だから、『なんでこうなるんだ?』とかじゃなくて、みんなの間でいろいろと話し合って、お互いに理解して、上手くチームを回していくのが得意かもしれないですね。考え方を進化させながら、ハイブリッドにしていきたいと思っているんです」

リーチ選手の考え方は、互いの価値観を尊重し、理解し、認め合うこれからの社会に向けてもまさに通じるところでもある。

「選手だけでなく、コーチでも『なんで?』となってストレスが溜まる人もいる。それはお互いを理解していないから。これが結構大変で難しい(苦笑)。でも、ラグビー代表は(多様性社会の)良いシンボルかなと思います。いろんな人がいて、同じ目標に向かっていくから」

アジアの子どもたちが日本でプレーできる環境を作りたい

そうして文字通り日本を代表するプレーヤーとしてラグビー界をけん引してきたリーチ選手も今年で36歳になる。もちろん選手としてまだまだ現役でプレーしていくが、“その先”のビジョンも明確に描いている。それが「アジアのラグビーを強くすること」だ。

「僕は日本のリーグを世界一のリーグにしたい。今、リーグワンが注目を集めていて世界のスーパースターが日本でプレーしています。でも、それだけじゃなくてアジア全体も巻き込んでいきたい。アジアのマーケットは広くて選手の可能性は絶対にある。日本だけが強くなるんじゃなくて、選手、コーチをアジアから日本に連れてきて合宿、交流、プレーすれば各国代表が強くなってアジアのスターも出てくる。そうすれば世界一のリーグになるし、自然と日本代表も強くなります。そういう大きなビジョンがあります」

数多くの海外トップ選手がリーグワンでプレーすることは日本ラグビー界にとって喜ばしいことだ。しかしながら、一方で前身のトップリーグ時代にはあったアジア枠(外国人枠とは別に設けられたアジア圏の国籍を持つ選手1名の出場権)が撤廃されたことで、韓国、香港、タイ、フィリピンなどの選手がリーグワンでプレーできる機会が減ってしまった。リーチ選手はこのことを危惧している。

「日本の協会トップの人に自分の考えをプレゼンして、少しずつ変えていきたい。アジア枠の復活は引退するまでにやりたいことです。アジアでラグビーをやっている子たちは日本に行けなくて辞める人が多い。いい選手がアジアにいたら2部、3部でもプレーできる環境を作りたい。そうしたら彼らの人生が変わるし、アジアの子どもたちにとっても目指すところがあればもっとラグビーを続けられると思う。アジアの子どもたちに夢を持ってもらいたいし、日本でラグビーできる環境をつくりたい。それが一番やりたいことです」

アジアの子どもたちに夢を――そうした思いからリーチ選手がすでに実行しているプロジェクトがある。それがアジア圏からラグビー留学生を招き、日本で夢を叶える手助けをすること。第1号として白羽の矢を立てたのが現在、国士舘大学でプレーするモンゴル人のダバジャブ・ノロブサマブー選手、通称ノロブくんだ。2019年にリーチ選手自らが現地で開催したセレクションで“発掘”し、自分を育ててくれた恩師がいる母校・札幌山の手高校に推薦。ノロブくんはそこでリーチ選手と同じように汗を流し、高校日本代表候補にも選ばれた。

アジア圏の選手たちが日本でプレーできる環境を作り、そして自分と同じように日本で夢を叶える子どもたちを育成する。リーチ選手が心に抱くこれからの目標はまだまだ始まったばかりだ。

「ラグビーで学んだことの一つは、言ったことを行動できる人は素晴らしいということ。そこが分かりやすいスポーツ。タックルに入ると言って全然入らない人もいますから(笑)。自分は言ったことはやるつもりです。現役を終えたら、すぐにアジアの国々を回って、そしていつかもう1回、日本でワールドカップをやりたい」

幼いころから2つの文化が入り混じった家庭の中で育ち、さらにもう1つ文化が異なる日本でも柔軟に根付いて、大輪の桜を咲かせた。そんなリーチ選手だからこそ描けるアジアラグビー界の未来がある。「やりたいことはいっぱいあります」。有言実行のトライに向けて、リーチ選手は走り続ける。

text by Atsuhiro Morinaga(Adventurous)
edited by Adventurous
photo by Shugo Takemi

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