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障がいは「障害」ではなかった。負けず嫌いのスプリンター、三本木優也の物語

パラサポWEB

パラ陸上における国内最速スプリンターのひとり、三本木優也。上肢障がいの中で最も障がいが重い「T45」クラスの選手だ。日本代表として出場する神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会では、障がいの軽い選手たちと同じ種目で走るが、「障がいが重くとも勝負できる可能性を示したい」と意気込む。ほんの数年前まで「障がいは言わなきゃバレないもの」と考えてきた男は、どんな思いで走ってきたのか。葛藤の日々を振り返ってもらった。

4月に社会人になった三本木。今回の撮影は、大学時代を過ごした京都で行った

宿題で知った“障がい”

京都出身の三本木は、出産時の事故で両腕の神経を損傷。自分に“違い”があると知ったのは8歳のときだった。

三本木優也(以下、三本木) 小さいころ、体のバランスが取りにくくて自転車になかなか乗れるようにならなかったり、リハビリのために療育センターに通ったりしていたのですが、自分の中でそういうのは子どもたちの誰もが通る道だと思っていました。

今でもはっきり覚えているのですが、小学校2年生のときに生まれてからそれまでどのように成長してきたか、両親に聞き取りをする宿題があったんです。生まれたときの話なんで、宿題の序盤も序盤ですよね。産道からなかなか出てこなくて、左の鎖骨が折れて……という話を聞き、自分に障がいがあるということを初めて知りました。

神戸2024世界パラ陸上競技選手権大会ではパリ2024パラリンピック出場を確実にするため、100mで上位に入ることが目標だ

小学校時代はソフトボールに熱中した他、ドッジボールチームに入り、キャプテンも経験。根っからのスポーツ少年だった。腕が動かしにくいことで困ることはなかったのだろうか。

三本木 それが……生きていて困ることがなにもなかったんです。球技も得意でしたし、勉強もテストで上位にいたいからそこそこやっていました。負けず嫌いだったんです。

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本格的に陸上競技に取り組むようになったのは中学時代だが、小学時代から足が速かった。

三本木 小学生のとき、陸上競技の大会に出ることになったのですが、当時はまだ本格的に陸上競技をやっていたわけではないので、専門的な練習をしたことはありませんでした。それでも、放課後に30分くらい練習を見てくれた先生がいて。すごく楽しそうに教えてくれたり、一緒に走ってくれたりして、僕自身も陸上競技の楽しさを知りました。

その成果も出て、京都府の大会で100mでは2位、リレーでは京都で一番になったんです。僕は綾部市という田舎の出身なのですが、田舎の寄せ集めチームが、京都市内の強豪クラブチームを抑えて一番になった。それはもう、むちゃくちゃ嬉しい出来事でした。

パラ陸上でもリレーで活躍。ユニバーサルリレーでは2走を務めるが、当時はバトン受け渡しが1回になる1走か4走を担当。「リレーは小学3年生頃から、アンダーハンドパスでつないでいました」

言わなきゃバレなかったけれど……

中学では100mで京都府3位。高校はスポーツ推薦で強豪校に進学したが、2・3年時はケガに悩んだ。高校3年生の7月、引退レースのつもりで初めてパラのレースに出場し、日本新をマーク。大学でも陸上競技を続けることを心に決めた。

三本木 大学1年生の12月までは陸上部にも入らず、ひとりで練習していました。今思えば、そのときが一番つらかったです。パラの世界に挑戦しようと決めたものの、パラ陸上の大会に出るようになって、急に「自分には障がいがあるんだ」という現実を突きつけられました。その現実と向き合うことが自分には難しく、周りにも言いたくなかった。高校時代も陸上部の仲間以外には障がいがあるなんて伝えていなかったし、「言わなきゃバレない」と思っていたんです。必要に迫られて障害者手帳をもらったのも18歳。なかなか受け入れることができず、陸上部に入ることを避けていました。

健常者の大会に出たり、パラの大会に出たりする日々がスタートしたが、パラの大会では陸上競技ではなく、球技の試合に出ているかと思うくらい雰囲気が違うと感じた。「最初はそわそわしていましたが、次第に慣れていきました」

2020年。コロナ禍の1年は伸び悩んだ。一方、東京2020パラリンピックが延期になったことで新人の三本木にも出場の可能性が残された。「日の丸を背負いたい」――その思いは日に日に増し、大学1年目のシーズンが終わったとき、練習方法を変えなければいけないと陸上部の扉を開いた。障がいを知られた先の不安よりも、パラリンピックに出たい気持ちが勝ったのだ。

三本木 陸上部への入部にあたり、みんなに障がいやパラリンピックを目指している話をし、自分の中でなにかひとつ乗り越えたような気がしました。部員の反応ですか? なんであんなに心配していたのだろうと思うくらい、みんな自然に受け入れてくれた。以降、パラの大会と大学など健常の大会を行き来する競技生活を送っていますが、自分の走りも気持ちもブレることはありません。どちらの大会に出ようとも、勝ちたいという気持ちは変わらない。そう思えるようになったからです。

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