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ヤクルト・池山隆寛2軍監督が暴露!古田敦也は2年目の首位打者で「態度がガラッと変わった」

アサ芸プラス

「8番打者をなんとかして下さい」

 ヤクルト・高津臣吾監督のそんな依頼を受けて、球団OBの古田敦也氏が臨時コーチとして古巣の浦添キャンプを訪れ、指導したのは長岡秀樹だった。古田氏は1991年に8番打者として首位打者のタイトルを獲っている。

 そんなレジェンド打者について、

「古田(敦也)さんとあんまり(仲)良くなかったな~、なんて」

 と振り返ったのは、ヤクルトの2軍キャンプ地に登場した野球解説者の大久保博元氏だった。YouTubeチャンネル〈デーブ大久保チャンネル〉2月6日の動画で、池山隆寛2軍監督とのやり取りを公開したのだが、池山2軍監督は次のように切り返した。

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「最初ね(広澤克実を含め)3人で一緒に飯食ったり、飲みに行ったり、麻雀したりしてたんだよ。(入団)2年目であいつ(古田氏)、首位打者獲ったんだよ。そこから道が変わっちゃったね。声かけても『ちょっと用事が…』とか断り出したんだよね。1年目は本当によく行ったんだよ。2年目、首位打者獲ったらガラッと変わった」

 池山2軍監督と古田氏は、1965年生まれの同級生。片や高校3年時の1983年にドラフト2位で、片や立命館大学とトヨタ自動車を経て1989年のドラフト2位でヤクルトに入団。池山氏は持ち味の豪快なスイングで1988年から5年連続で30本塁打以上を記録したが、意外にもタイトルには縁がなかった。

 そして古田氏は、入団2年目の1991年に3割4分で首位打者に輝く。首位打者タイトルを獲った捕手は、名将と呼ばれた野村克也氏以来2人目であり、セ・リーグでは史上初の快挙だった。

 もっとも、先の3人衆はいいライバル関係だったようで、

「古田が打つと、広澤さんが打つと、『ナニ~、オレも!』と思いながらやってたし」

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