りなは何故復讐するのか問われ、「自分が気持ちよくなる為」とハッキリ断言します。エゴイズムを極めた復讐の美学は、現実のしがらみに縛られて、なかなか行動を起こせない読者に勇気を与えてくれます。
決して奪われてはいけない、学校の行き帰りに好きな音楽を聴く権利
本作で着目してほしいのは考え方の倒置。りなには少々過激で偏った所がありますが、彼女の言ってることは決して間違っていません。
りなはある日の下校中、公園の脇道で襲われました。その時りなはヘッドホンで音楽を聴いており、奇襲に気付くのが遅れます。現実でも女子供が変質者に襲われる事件は後を絶たず、哀しいニュースが毎日のように流れてきます。
ですが待ってください、ただ道を歩いていた被害者に落ち度はあるのでしょうか?
短いスカートをはくな、夜道で音楽を聴くな……何故何も悪くない被害者側が一方的に注意され、気を付けなければいけないのでしょうか?彼女たちが可愛いスカートをはき、ヘッドホンで音楽を聴くことで、誰が困るというのでしょうか?
広告の後にも続きます
悪いのは犯人、加害者です。ゲスな加害者さえいなければ、被害者たちは自由に好きな服を着て出歩き、どこでも好きな音楽を聴くことができるのです。
りなが侵害されたのは「学校の帰り道に好きな音楽を聴く権利」でした。誰もが普通にやっていることを、日常を明るくするちょっとした自由を、何故「被害者」というだけで奪われなければならないのか……これはとても理不尽な話です。
音楽を聴いてる最中に襲われた人は、二度と音楽が聴けなくなります。それは極論としても、襲われた時に聞いていた曲がかかるたび恐怖がフラッシュバックし、大好きだった曲を嫌いになってしまうかもしれません。被害者がトラウマを克服するには大変な時間がかかり、ともすれば一生続く可能性があります。
翻り、犯人はどうでしょうか?無差別通り魔は被害者一人一人の顔と名前をきちんと記憶しているのでしょうか?
加害は一過性、対する被害は継続性で永続性。むしろ事件後にこそ、本当の苦しみが待っています。
故にりなは可哀想な被害者に甘んじるのをよしとせず、復讐者を志しました。自分が被った理不尽をきっちり本人に叩き返すことで、りなの復讐には正当性が担保され、物語に疾走感と爽快感を与えるのに成功しました。
りな以外にもまだまだいる、エキセントリックなキャラクターたち
『ラメルノエリキサ』にはりな以外にも強烈な個性を持ったキャラクターが登場します。その筆頭がりなの姉で、彼女は妹と正反対の穏和で優しい人物……と見せかけ、やっぱりズレています。
終盤ではりなが人を殺してしまったと勘違いし、死体を埋める準備をして来るほどで、彼女が世間の倫理よりも妹を優先していることがわかりますね。
他にも完璧な母親やクールな同級生など、りなの周囲には個性的な人物が数多くいます。共通しているのは彼女たちの芯のブレなさ。りなは復讐に一途、姉は妹を守るのに一途、母は娘たちに愛情を注ぐことに一途……その一途さがそれぞれ微妙に食い違い空回っているのが、シュールな笑いを生み出します。
『ラメルノエリキサ』は思春期の娘と母の親子関係、あるいは人間関係を描いた作品でもあります。りなは母が娘たちを美化し、自分が見たいものしか見てないことを悟っていました。優しく美しく鈍感な母は、りなが持った危険な思考にさっぱり気付かず、彼女をただただ心配し可愛がってます。
りなはそんな母の無理解さを許し、血の繋がった他人として自分と分けて考えています。お互いが理解し合わなくても家族は機能する。ならば大事なのは、理解できないことを尊重し、許し合える無関心さではないでしょうか。
『ラメルノエリキサ』をもっと楽しみたい人におすすめの一冊
『ラメルノエリキサ』で鮮烈なデビューを飾った渡辺優。本作の雰囲気が気に入ったら、ぜひ『地下にうごめく星』も手を伸ばしてください。こちらはアラフォーの女性会社員が、初めて観に行った地下アイドルのライブで一人の少女に一目惚れし、地下アイドルのプロデュースに本気で取り組む話。
『ラメルノエリキサ』とはまた違った躍動感とカタルシスで、読者の心を揺さぶります。
著者渡辺 優 出版日