「商売っけも全部捨てて、自分の正直な気持ちを」

 TVアニメの常識を、『エヴァ』最終回はひっくり返してみせました。半年にわたる放送を終えた庵野監督は、アスカ役の声優・宮村優子さんとアニメ専門誌「アニメージュ」1996年7月号で対談し、以下のような言葉を残しています。

「でもそこで、商売っけも全部捨ててしまって、自分の正直な気持ちをフィルムにやっておきたかったっていうのが、25、26話だった。ギリギリの選択でしたけど」

 おそらく、玩具メーカーが『エヴァ』のスポンサーだったら、あの最終回はありえなかったでしょう。ロボットアニメとしての常識内で、物語を終えることを制作サイドに求めたはずです。『エヴァ』の場合は、キングレコードが主導する形で製作されました。『エヴァ』のTV放送後は、キングレコードでソフト化し、大々的に売り出すことが決まっていました。一度視聴しただけでは理解できない難解な物語ゆえに、ビデオ化された『エヴァ』は爆発的な人気を呼ぶことになります。

 話題を呼んだ第25話と最終回は、当初はビデオ版で補完される予定でした。しかし、予想以上に反響が大きく、劇場アニメ『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)としてリメイクされます。そして劇場版のエンディングは、アニメファンの間でさらに物議を醸しました。

 2007年からは「エヴァンゲリヲン新劇場版」四部作の公開が始まり、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)として大団円を迎えたことは、記憶に新しいところです。『シン・エヴァンゲリオン』は、エンタメ性と作家性を見事に両立させ、庵野監督の表現者として成熟ぶりを感じさせました。ずっと14歳の少年のままだった碇シンジを、庵野監督自身が解放した瞬間でした。

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都市伝説となった「遅刻する食パン少女」

 伝説の始まりとなった『エヴァ』最終回ですが、とりわけ多くの人の印象に残っているのは、制服姿の綾波レイがトーストを口にくわえ、転校先の学校へ猛ダッシュで登校するシーンではないでしょうか。お約束どおり、こちらも遅刻しそうだった碇シンジと曲がり角で衝突することになります。

 いわゆる、少女マンガにありがちな主人公男女の出会いをコミカルに描いた「遅刻する食パン少女」として知られるシーンです。1989年から91年に連載されたメタフィクションマンガ『サルでも描けるまんが教室』(小学館)で、少女マンガのよくあるパターンとして紹介されていましたが、実際の少女マンガではこのようなシチュエーションはほとんど出てきません。

 シリアスモード全開だった『エヴァ』最終回で、唯一のギャグパートだったために、「遅刻する食パン少女」は多くの視聴者に記憶され、そのイメージが広まっていきました。

 お菓子研究家の福田里香さんは、著書『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』(太田出版)のなかで、「遅刻する食パン少女」は今や「口裂け女」や「トイレの花子さん」のような都市伝説のひとつになっていると指摘しています。TV版の主題歌「残酷な天使のテーゼ」の歌詞にあるように、碇シンジや綾波レイたちはアニメ界の神話になったのではないでしょうか。