2010年にテレビ朝日系列で放送された、『ハートキャッチプリキュア!』キービジュアル (C)ABC・東映アニメーション

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日曜朝のアニメ・特撮ヒーロー枠「ニチアサ」

 日曜日の朝、テレビ朝日系列で放送している「プリキュア」、「仮面ライダー」、「スーパー戦隊」の各シリーズ作品を総称して「ニチアサ」と呼ぶ人が多くいます。この「ニチアサ」の歴史について振り返ってみましょう。

 実は現在では公式には「ニチアサ」は解消されています。「ニチアサ」は正式には「ニチアサキッズタイム」と呼ばれる「コンプレックス」でした。コンプレックスとは、共通点を持つ複数の番組を連続して配置した時間帯のことです。

「ニチアサ」が正式にスタートしたのは2007年3月4日のこと。日曜7時から9時までの4番組2時間枠が「ニチアサ」と設定されました。この時のラインナップは、メ~テレのアニメ枠である『古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー』、スーパー戦隊第31作『獣拳戦隊ゲキレンジャー』、平成仮面ライダー第8作『仮面ライダー電王』、朝日放送のプリキュアシリーズ第4作『Yes!プリキュア5』です。

 この「ニチアサ」という名称は、「プリキュア」シリーズのプロデューサーである鷲尾天さんの発案でした。日曜の朝の子供向け時間帯という意味があるそうで、ストレートなだけに覚えやすく、なじみやすい名前だと思います。ひょっとしたら「朝」はテレビ朝日系列とのダブルミーニングかもしれません。

 しかし、この「ニチアサ」はあまり長い期間あったわけではないのです。まだ各番組が絶頂期だった2011年1月30日、『ハートキャッチプリキュア!』の終了に伴って、発展的解消されました。その期間は4年程度です。そして2024年現在、「ニチアサ」が解消されて13年の月日が経ちました。

 そう考えると、公式には解消された「ニチアサ」は名前だけが独り歩きをして、現在も使い続けられている俗称ということになるでしょう。現在は時間帯が変わって8時半から10時の3番組1時間半枠になっていますが、その変化もユーザーにはささいなことかもしれません。

 なにしろ今も昔も「プリキュア」、「仮面ライダー」、「スーパー戦隊」の3作品は子供にとって不動のTV番組です。三本の矢というわけではないでしょうが、この強力なコンテンツがひとつになっていることが、お互いの番組としての知名度を不動のものとしているのでしょう。

 惜しむらくは「ニチアサ」の一角だったメ~テレのアニメ枠が、2017年9月24日に最終回を迎えた『ヘボット!』で途絶えたことが残念でありません。これは情報番組『サンデーLIVE!!』の放送開始で、8時半までの時間枠が子供向け枠でなくなったことが原因です。

 思えば「ニチアサ」成立以前にも、日曜朝の子供向け番組はいくつもありました。そこで印象的だった作品をいくつか思い出してみましょう。同時に「ニチアサ」に集まった作品群がどこからやって来たのかも振り返っていきます。



2016年にテレビ朝日系列で放送された『機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096』キービジュアル (C)創通・サンライズ

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「ガンダム」と「戦隊」の奇妙な縁も?

 以下の内容は、基本的に全国ネットの中心である関東圏を参考にしています。

 実は日曜朝の子供向け番組は、1980年代に入るまで皆無といっていいほど何もありませんでした。政治口論のような番組が多く、子供には退屈な時間だったと思います。もちろん本当に皆無というわけではなく、1959年には『まぼろし探偵』、1960年には『怪獣マリンコング』といった番組がありました。しかし時間枠の維持には至りません。

 筆者も子供の頃はあまりにも見る番組がなく、日曜日は毎週9時半から放送していた『ミユキ野球教室』を見ていたくらいです。当然、当時はビデオデッキのような再生機器は一般的に普及しておらず、子供には日曜の朝のTVは退屈というイメージがありました。

 そういった風潮を変えたのが、テレビ朝日系列で放送開始した『ドラえもん』です。8時半から9時の30分枠で、同時期に始まった月曜日から土曜日の帯枠の10分作品の再放送という形で1979年4月8日から始まりました。再放送といってもオープニング、エンディング、次回予告が別途製作されたバージョンで、後に金曜夜に移動して帯枠に変わってメインとなります。つまり現在も放映されているTVアニメの原点でした。

 翌年1980年4月6日から時間帯を日曜9時半に移します。この時間帯は『藤子不二雄劇場』となって、『忍者ハットリくん』、『パーマン』、『オバケのQ太郎』などが次々と放送され、藤子不二雄ブームを定着させる役割を果たしました。

 この時間枠は1987年9月27日まで『藤子不二雄劇場』を放映し、後番組として時間帯移動してきたメタルヒーローシリーズ第6作『超人機メタルダー』へと変わります。このシリーズは第8作『機動刑事ジバン』で、1989年4月2日放送分から日曜8時の時間枠に移動、後に現在の「仮面ライダー」シリーズへとバトンタッチすることになりました。

 こうして日曜朝を子供向けに開拓したテレビ朝日でしたが、成功すれば後続が続くものです。最も早くこれに対抗したのがフジテレビ系列でした。後に「東映不思議コメディシリーズ」と呼ばれるようになる第1作『ロボット8ちゃん』を1981年10月4日から日曜9時の時間枠に入れます。

 この時間枠での「東映不思議コメディシリーズ」はおよそ12年間、14作続いて終了しました。その後、東映アニメーション作品の枠となり『蒼き伝説 シュート!』が始まり、現在は『逃走中 グレートミッション』が放送されています。

 一方のテレビ朝日も、日曜朝を徐々に子供向けに定着させていきました。『とんがり帽子のメモル』を日曜8時半枠に移動したのが1984年10月7日のことです。この枠は朝日放送制作による東映アニメーション枠となり、後に「プリキュア」シリーズへとつながりました。

 現在も「ニチアサ」の一角である「スーパー戦隊」シリーズは、1997年4月6日から第21作『電磁戦隊メガレンジャー』が日曜7時半に枠移動してきます。メ~テレのアニメ枠は遅れて1998年4月5日から『Bビーダマン爆外伝』が日曜7時に枠移動しました。

 ちなみに「スーパー戦隊」シリーズとメ~テレのアニメ枠は、土曜日17時半から18時半の1時間枠だった時期があります。1979年4月7日から放送開始した『機動戦士ガンダム』と、1979年2月3日から放送開始した『バトルフィーバーJ』でした。

 後に「ニチアサ」に移動した後のメ~テレのアニメ枠では『機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096』を放送したこともあり、「ガンダム」と「戦隊」の奇妙な縁を感じたファンも少なからずいたことでしょう。

 駆け足になりましたが、日曜朝が子供向け番組であふれるようになったのはテレビ朝日の尽力だったとも考えられます。今後も日曜朝のテレビ朝日系列の番組が続く限り、「ニチアサ」という言葉は使われていくのでしょう。語源を調べなくても理解できるストレートなネーミング、やはり名前はシンプルが一番ですね。