ディープインパクトという競走馬をご存知だろうか? 競馬好きの人なら恐らく知っていると思うが、ディープインパクトは歴史的成績を残した伝説の名馬だ。

競走馬としては4歳いっぱいで引退し、その後は種牡馬に転身した。競走馬としての活躍はもちろんのこと、種牡馬に転身したあとも貢献を続けていった。

今回は、伝説の名馬であるディープインパクトの歴史、最強であり続けた理由について解説する。競馬ファンもそうでない人も、ぜひ最後まで読んでみてほしい。

■ディープインパクトの歴史

“早すぎる馬”として有名なディープインパクトは、2004年に2歳新馬でデビューを果たした。デビュー戦から単勝オッズはなんと1.1倍であり、当初から4番人気枠としてスタートを決める。

結果としては、ディープインパクトの圧勝で終わった。このデビュー戦をもってして、ディープインパクトの人気と期待感が爆発的に高まったのだ。

そして2005年1月に行われた「若駒S」では、またしても単勝オッズが1.1倍。ちなみに、ディープインパクトに跨っていたのは、あの有名な武豊(たけゆたか)騎手であった。

途中までは後方待機で「どうなってしまうのか」と思われていたが、途中からの猛烈な追い上げにより、ディープインパクトの圧勝で幕を閉じる。

その後行われた「弥生賞」や「皐月賞」でも完勝を記録し、2005年5月に行われた「日本ダービー」では史上最高の単勝支持率にて、無敗の二冠を達成した。

そして、無敗での中央競馬クラシック三冠を成し遂げ、2006年には日本調教馬として初の「芝部門・長距離部門」で世界ランキング1位となったのである。

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■最強のディープインパクトは通算2回負けている

最強と名高いディープインパクトは、全戦全勝というわけではなく、通算2回ほかの競走馬に敗れている。“競馬界の英雄”とまで言われていたディープインパクトの初の敗戦は「有馬記念」だった。

途中までは良好な走りをみせていたディープインパクトだったが、最後の直線で前方のハーツクライを追いきれず、惜しくも二着でゴールインとなる。

あの瞬間は多くのファンに絶望を与え、競馬界に大きな震えをもたらした。そして最終的に、ディープインパクトは14戦12勝という成績で競走馬としての幕を閉じた。

2度の敗戦を経験しているとはいえ、ディープインパクトはデビュー当時から素晴らしい成績を残している。当時は“早すぎる馬”として社会現象となったほどだ。