2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公で、吉高由里子さん演じる紫式部。
紫式部にまつわるエピソードは数えきれないほどたくさんありますが、平安〜鎌倉時代にかけて、紫式部は煩悩の創造物である『源氏物語』を書き、人々を惑わせた罪で地獄に堕ちた……という考え方が起こったのです。
どのような背景があったのでしょうか。
平安の大ベストセラーも「虚構だ!」「けしからん!」と炎上…
平安時代としては晩婚だった紫式部は、20代後半で親子ほど歳の離れた藤原宣考(ふじわらののぶたか)と結婚し一女をもうけるも、わずか3年で夫と死別してしまいます。
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現代でいうところのシングルマザーとなった紫式部が、その頃書き始めたのが源氏物語でした。夫亡き後、寂しさや不安を慰めるために長い物語を紡ぎ始めた……といわれています。
友人知人の間で評判となり、宮廷にその噂は広がり貴族たちの心も虜にしていった源氏物語。
ときの最高権力者・藤原道長の目に留まり後宮に入り、宮仕えをしながら物語を繰り広げ続けていきます。
古来より文学者が詣でた石山寺に7日間籠って執筆を
紫式部が源氏物語の構想を得たと伝わるのが、滋賀県大津市にある「石山寺」です。
創建天平19年(747年)以来、東大寺の大仏建立を祈願した神聖な寺で、真言密教の道場として、学問の寺として多くの信仰を集め、多くの文学者も詣でていました。
紫式部は、この石山寺に7日間に渡り籠って源氏物語を綴り始めたといわれています。
寺から琵琶湖の湖面に映る十五夜の名月を眺め、「月のいとはなやかにさし出でたるに、『今宵は十五夜なりけり』と思し出でて」という文章を書き出した……そうです。