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すっ飛んだ2年間を補足、清少納言・爆誕!伊周と道長の弓競の実際…大河ドラマ「光る君へ」4月14日放送振り返り

Japaaan

ストーリーの進行上、あまり大きな動きがない時代をすっ飛ばすのは無理もありません。

でも、ここではすっ飛ばされた2年間に何があったのか、ざっくり見ておきましょう。

正暦2年(991年)

  • 2月12日 円融院(坂東巳之助)が崩御。
  • 9月16日 円融院の崩御にともない皇太后の藤原詮子が出家。
  • 一条天皇が東三条院の称号を宣下。史上初の女院号に。

正暦3年(992年)

  • 1月 道長長男・藤原頼通が誕生(母:源倫子)。
  • 時期不詳 道長の次男・藤原頼宗が誕生(母:源明子)。
  • 時期不詳 一条天皇の発願により、正暦寺(奈良県菩提山町)が建立される。
    建立には兼俊(けんしゅん。亡き藤原兼家の子。道長の異母兄弟)が貢献。

詮子が出家し、道長の子が相次いで出産……。

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かなりの重要トピックな気がするものの、とにかくいいからすっ飛ばします。

劇中、源明子(滝内公美)が妊娠していたのは、さらに次の子を産もうとしているのでしょうか。

あるいは頼宗誕生の時系列をいじったのでしょうか。

ちなみに、道長の正室である源倫子(黒木華)と側室の源明子は、競い合うようにそれぞれ6人数も子供を産んだのでした。

その内、何人が大河ドラマに出てくるのか注目ですね。

【祝】藤原惟規、擬文章生に

さて、永らく不遇をかこちていた藤原為時(岸谷五朗)一家。

大学寮で学んでいた藤原惟規が擬文章生(ぎもんじょうしょう。擬生)の試験(大学寮試)に合格しました。

これまでずっと不出来のなんのと言われて来ましたが、惟規だってずっと努力してきたのです。永年の努力が実り、乳母のいと(信川清順)が感涙にむせぶのも無理はありません。

※酒を隠しておいた、と言っていましたが、当時の酒はアルコール度数が低いからお酢になってそうですね。

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ちなみに擬文章生の試験とは、漢籍『史記(しき)』『漢書(かんじょ)』『後漢書(ごかんじょ)』の中から5問を出題。

古代中国史マニアにはたまりませんが、どんな問題が出たのか、興味がありますね。

うち3問に正解できた者を合格としました。100点満点中、60点で合格なのですね。

ただし回答は論述であり、決まった正解がある訳ではないので、可否は試験官次第なところもあったようです。

定員が20名なので、60点をとっても全員合格にできない事情もあったからです。

その後、官僚養成機関である式部省(しきぶのしょう)が出題する省試(しょうし)に及第すると、晴れて文章生(もんじょうしょう)となれるのでした。

惟規はこの省試にもめでたく合格。自分なりに着々と出世していくのですが、詳しくは後のお楽しみにとっておきましょう。

爆誕!清少納言の少納言はどこから?

かねてからの念願叶い、藤原定子(高畑充希)に出仕することとなったききょう(ファーストサマーウイカ)。

父親の姓・清(せい)と、どこから持ってきたのか分からないけど官職の少納言(しょうなごん)を合わせて、清少納言の女房名が授けられました。

ここに清少納言(せい しょうなごん。せいのしょうなごん)が爆誕したのです。

しかし、当時の女房名は姓+親族の官職から構成されるのが一般的でした。

たとえば、まひろは後に藤式部(とうのしきぶ。藤原氏の式部=為時の娘)と呼ばれています。

でも、ききょうの親族も姻族も、少納言となったことがある者は一人もいません。

これが昔から謎とされて来ましたがとりあえず本作においては「定子が気まぐれで名づけた」説が採られたようです。

女房名に侍従(じじゅう)や小弁(しょうのべん)、少納言をつける例はあったとか。

もしかしたら清侍従(せいのじじゅう)・清小弁(せいしょうのべん)などと呼ばれていたのかも知れませんね。

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ちなみに夫も息子も捨てたと言っていたききょう改め清少納言ですが、藤原棟世(むねよ)と再婚し、のち小馬命婦(こまのみょうぶ)と呼ばれる娘を生んでいます。

よせばいいのに……藤原伊周と藤原道長の弓競

さて、今回のハイライトであった、伊周と道長の弓競(ゆみくらべ)。

自分から喧嘩をふっかけておいて、見事返り討ちにされてしまいました。

劇中では、仕方なく受けて立った形の道長。しかし平安時代の歴史物語『大鏡』を読んでみると、実際は真逆だったようです。

……帥殿(伊周)の南の院にて、人々集めて弓あそばしゝに、この殿(道長)渡らせ給へれば、思ひかけずあやしと中ノ関白殿(道隆)おぼし驚きて、いみじう饗応し申させ給ひて、下臈におはしませど、さきに立て奉りて、まづ射させ奉り給ひけるに、帥ノ殿の矢かず、今ふたつおとり給ひぬ。中ノ関白殿、又御前に候ふ人々も、「今二度のべさせ給へ」と申して、のべさせ給へりけるに、安からずおぼしなりて、道長「さらばのべさせ給へ」と仰せられて、又射させ給ふとて、仰せらるゝやう、「道長が家より御門后立ち給ふべきものならば、この矢あたれ」と仰せらるゝに、おなじものゝ中心には当るものか。次に帥殿射たまふに、いみじう臆し給ひて、御手もわなゝくけにや。的のあたり近くだによらず、無辺世界を射給へるに、関白殿(道隆)色青くなりぬ。又入道殿(道長)射させ給ふとて、道長「摂政関白すべきものならばこの矢当れ」とおほせらるゝに、はじめとおなじやうに、的の破(わ)るゝばかり射させ給ひつ。饗応しもてはやし聞えさせたまへる興もさめて、ことにがくなりぬ。父おとゞ(道隆)、帥殿に、「なにか射る。な射そゝゝゝ」と制せさせ給ひて、ことさめにけり。入道殿矢もどして、やがて出でさせ給ひぬ。……

※『大鏡』太政大臣道長

「道長が家より御門后立ち給ふべきものならば、この矢あたれ」

「摂政関白すべきものならばこの矢当れ」

劇中では「我、関白に……」のところで兄・道隆より遮られていますが、『大鏡』だと摂政関白の願いを言い切っています。

実は道長は関白になったことはありませんが、摂政を勤めているので願いごとを叶えたのですね。

この出来事が、それぞれの未来を暗示することとなったのでした。

第16回放送「華の影」

さて、河原に累々と転がっていた亡骸たち。疫病の蔓延をもって第15回放送「おごれる者たち」は幕を下ろします。

次週の第16回放送は「華の影」。栄華を極める藤原氏の陰で、疫病に苦しむ庶民たちの姿が描かれることでしょう。

また、清少納言の簾(すだれ)エピソードが演じられるようです。定子と清少納言の熱愛ぶりも、見どころとなりそうです。

おごれる者は久しからず。次週も急展開が予想されるので、楽しみに待っていましょう!

トップ画像:「光る君へ」公式サイトより

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