国枝さんがそのように願うのは、全米オープンの車いすテニス部門が、グランドスラムの中で最も盛り上がりに欠けるとの皮膚感覚があったからだ。
「僕らにとって全米オープンは、グランドスラムの中で一番お客さんが少ない。アテンションが低いなって、すごく感じていました。その辺も、自国の選手が活躍することで、変えていけるのではと思っているんです」
アメリカにおける車いすテニスの人気向上は、競技そのものの環境を大きく変えうる。だからこそ国枝さんは、アメリカ内部から改革を起こそうとしていた。
ことし1月、妻の愛さんとともに渡米。新たな環境で奮闘中だphoto by Hiroshi Sato
世界1位が出場したマイアミオープンの可能性
選手が育つ土壌は十分に備えているように見えるこの国で、ではなぜ、車いすテニスの選手は育っていないのか。
そう問いかけると国枝さんは、「うーん」と首をひねって小さくうなり、慎重に言葉を選びつつ、こう続けた。
「逆に、国が広すぎるというのはあると思います。一か所で選手を強化できない難しさは、この2ヵ月ほどやって感じたことかなとも思います。あとは、ちょっと言いづらいところではありますが、教えるシステムが十分に整っていないように感じています。環境はあるけれども、それを十分に活かすシステムがないなのかなって……」
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そこまで言うと国枝さんは、「まだ僕はペーペーなんで、あんまりそれを言っちゃうとね」と、苦味の混じる笑みを広げた。
「組織や会社に属する悩みというか……上司になかなかモノを言えないとか、何かそういうのを感じているところです、実はちょっと。やっぱり組織がある中で、自分が上を飛び越えてやっちゃうといろいろと軋轢も生まれちゃう。そこを、どうやって変えていこうかなというのは、実はこの2ヵ月、悩んでいるところです」
パラリンピック単複4つの金メダル、グランドスラムでは単複計50のタイトルを誇る“生きる伝説”が、セカンドキャリアで直面する組織人としての悩み。
異国の地で、既存のシステムやスタッフに敬意を表しつつ、それでも改革を成すべく打ち込む楔の第一弾が、今回の“インビテーション”開催でもある。
このイベントは招待選手によるエキシビションであり、ランキングポイントがつくわけではない。今年8月に開催されるパラリンピックを考慮したとき、選手たちにとって参戦意義を見い出すのが難しい位置づけでもある。
それでも男女世界1位が参戦し、全力プレーを披露したのは、ディレクターとしての国枝さんの存在が大きいのは間違いない。なかでも、現王者アルフィー・ヒューイット(イギリス)と国枝さんのフルセットの大接戦は、車いすテニスが有するエンターテインメント性や競技の魅力を、全方位に放っていた。
「試合を観にきてくれたみなさん、ありがとうございます!」
優勝者としてオンコートインタビューに応じる国枝さんは、日々学校に通い磨きをかける英語で、観客に語りかけた。
「今日、観戦して楽しいと思ってくれたら、周りの人にも声をかけてください。そうすれば来年はもっと観客が増え、2年後にはこのスタンドを満員にしたいです!」
グスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)と組んだダブルスでは準優勝だったphoto by AP/AFLO
なおマイアミオープン関係者たちも、近い将来、同時期同会場で、車いすテニスの公式ツアー大会を開くべく動いているという。
自らの存在で、車いすテニス界そのものを動かす――。その大望を叶えるため、数々の記録を打ち立ててきたパイオニアは、未踏の荒野をさらに切り開いていく。
※世界ランキングは4月8日時点
text by Akatsuki Uchida
key visual by Hiroshi Sato