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実は兼家がスポンサー!?後世の文学に影響を与えた藤原道綱の母による『蜻蛉日記』について知ろう

Japaaan

2024年の大河ドラマ『光る君へ』。放送後にはSNSが大盛り上がりするなど、大きな反響を呼んでいます。段田安則さん演じる藤原兼家は、家のためには手段を択ばないような人物として描かれていましたが、藤原兼家はさまざまな女性と関係を持った人物でもありました。

そこで今回は、藤原兼家の妻のひとり・藤原道綱母(大河ドラマでは、財前直見さんが藤原寧子という役名で演じています)が書いた『蜻蛉日記(かげろうにっき)』についてご紹介します。

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『蜻蛉日記』とは?まずは概要をおさらい

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『蜻蛉日記』は、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)によって書かれた女流日記文学です。成立は天延2年(974年)前後と考えられています。上中下の3巻からなります。

なお、『蜻蛉日記』という名前の由来は、上巻の末尾に「あるかなきかの心地(ここち)するかげろふの日記といふべし」という部分に書かれています。これは、蜻蛉のようにはかない身の上の日記だ、という意味です。

『蜻蛉日記』で書かれていることとは?

『蜻蛉日記』は、天暦8年(954年)から天延2年(974年)の出来事が中心に書かれています。藤原兼家に求婚され、結婚しますが、正妻・時姫の存在や、次々と現れる他の妻たちの存在に、悲しく苦しい気持ちになっている様子、また、兼家が自分のもとに通うのが絶えたことに対する非難などが描かれています。

『蜻蛉日記』と藤原兼家

『蜻蛉日記』には、確かに藤原兼家への不満ともとれる記述があります。しかし、求婚中に兼家が送った情熱的な和歌や、彼女が妊娠中に兼家が送った愛情溢れる和歌なども載っています。

このように、兼家の和歌も多く載っていることから、兼家の協力もあってできた宣伝の書物ではないかという考え方もあります。また、『蜻蛉日記』は長編であり、いくら藤原道綱母の実家が中流貴族だったとはいえ、ひとりで書き上げるのは難しく、兼家がスポンサーとなったのではないかとも言われています。

『蜻蛉日記』の文学的意味

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