top_line

「エンタメウィーク」サービス終了のお知らせ

江ノ電の廃線も救った! 小倉一郎さんが語る伝説のドラマ『俺たちの朝』秘話

女性自身

 

「当時、江ノ電は廃線危機だったそうですが、ドラマが大ヒットし、江ノ電ブームにもなったので盛り返したようです」

 

撮影現場にも多くの“追っかけファン”が押し寄せた。

 

広告の後にも続きます

「3~4人の女のコのグループがタクシーに乗ってついてくるのですが、撮影スタッフとしては困るので『次は長谷寺です』と女のコたちにうそをついて、実際は七里ヶ浜でロケをしたこともありました。今思えば女のコたちがかわいそうですよね(笑)」

 

 

■撮影現場に行くと台本にはなかったシーンが

 

ロケバスに揺られて鎌倉から東京へ帰ってくるのは、毎日、夜になってから。翌日も朝6時に出発だった。

 

「勝野さんとは、睡眠時間を計算しながら、1年間、毎晩のようにバーで酒を飲んでいました。勝野さんは飲んでも変わらない人。あの人は熊本の阿蘇の人なんだけど、すごく朴訥で人懐っこい。だから石原裕次郎さんとか竜雷太さん、下川辰平さんなどの、『太陽にほえろ!』の錚々たる大先輩のなかで、かわいがられたのでしょうね」

 

『俺たちの朝』のメイン監督を務めていた山本迪夫氏と小倉さん、勝野さんの3人で飲んだことがあったという。

 

「山本監督は自分の子どものように勝野さんを育てたいから、厳しいわけ。酒席でも『勝野はどうのこうの』っていうから、僕が『飲んでいる席でやめなさいよ』って間に入ったら、監督がお怒りになってしまって……」

 

次の日、撮影現場に行くと台本にはなかったはずのマージャン卓が用意されていた。

 

「監督は僕がマージャンをやらないのを知っていて。マージャン牌を積もうとしても、ガラガラと崩れてしまってできないんですよ。すると監督は『小倉、ちゃんとやれ!』って怒るんです。こっちも『きったねえなあー』と言い返したり(笑)。僕にとっても、楽しい思い出の詰まったドラマでしたね」

 

【PROFILE】

小倉蒼蛙

’51年、東京都生まれ。小学3年生から東映のエキストラとして映画に出演。’17年には初恋の相手であった女性と4度目の結婚。病気を機に、一郎から俳号としていた蒼蛙に改名した

  • 1
  • 2
 
   

ランキング(エンタメ)

ジャンル