top_line

あなたの語彙力が試される!
無料ゲーム「ワードパズル」で遊ぼう

村上春樹6年ぶりの長編新刊の元ネタを、TVプロデューサーが偏愛暴露

ホンシェルジュ

話を急いでしまいました。『羊〜』の次に出た4作目の長編が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でした。

まだ文学ジャンルというものがよく分かっていなかった僕は、あの繊細な村上春樹が作品のタイトルになぜ、ハードボイルド、などという言葉を使うのだろうと思い、何だか急に嫌になってしまいました。その頃の僕にとっての、ハードボイルドと言えば、北方謙三とか大藪春彦のような、男くさいちょっと体育会系みたいな印象があり、文弱意識の強い僕にとっては無理筋のタイトルだったのです。おまけにこの本はハードカバーが頑丈なピンクのブックケースに入っており、ああ、春樹が遠くへ行ってしまった、と思ったのです。

ちなみにこの、ああ、は今回の『街とその不確かな壁』の子易さんの口癖ではありませんよ。

それはそれとして、その後も大学生協の書店へ行くたびに、このピンクのブックケースがいつも目に入り、その度に「何だよハードボイルドって!」と思っていたのですが、ある時まるで何かの啓示でも受けたみたいに書店でピンクケースから抜いてその本の立ち読みを始め、ハードボイルドワンダーランド第一章の主人公の一人称が初めての「私」であることを知って、また、はあああっ!となり、すぐに買って600ページ以上の長編を一気読みすることになったのです。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)
著者村上 春樹 出版日2010-04-08
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 下巻 (新潮文庫 む 5-5)
著者村上 春樹 出版日2010-04-08

 

広告の後にも続きます

物凄い小説でした。

これは『羊〜』を抜いて僕の人生No.1の小説になりました。そこからはずっと村上春樹新作が出る度、すぐ読むを繰り返して今に至るまで全部読んでいますが、『世界の終り〜』を凌駕することはなく、勝手に次点として『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』がある、と言う感じです。

『世界の終り~』にあまりにもやられてしまった僕は、あの長編を結局3度読み返すこととなり、大学の教育心理のゼミで箱庭を作ることになった時も『世界の終り~』のあの壁のある街をイメージして作りました。このあたり今作のイエローサブマリン少年の地図作りと似ていなくもないなと思い、またちょっとはあああっ!となりました。

でもその後村上春樹が訳した海外文学なども読むになるようにつれて、そもそもこの人が好きなレイモンド・チャンドラーなどはハードボイルドそのものじゃないかと気づくようになり、だとすればもしかすると村上春樹はそもそも第1作めからハードボイルドだったんじゃないかと思うようになったのです。いや何とも格好の悪い話です。僕の読書人生は、こんな風に馬鹿が少しずつ牛歩で気づきを得ていくプロセスなのです。

* * *

ところで今回の新作のタイトルが『街とその不確かな壁』だと発表された時、春樹ファンたちは『街と、その不確かな壁』と言う中篇がかつて雑誌「文學界」に掲載されたもののこれだけが単行本化されていないと騒ぎ始めました。

ハルキストじゃない僕からしたらそんなもん知るか!でしたが、この前4月18日付の朝日新聞「天声人語」を読んでいたら、その著者は、1980年代前半にこの中篇『街と、その不確かな壁』が文芸誌に掲載されていて当時それを読んでおり、その後単行本にならないな、と思っていたと書いていました。一読、申し訳ないのですが、この人はきっと嘘をついていると思いました。そうでなければ記憶を改変しているのではないかと。そもそも文芸誌を読む、と言う行為が昔から関係者と書いている作家の知り合いや親戚以外ほとんどいないのではないかと言われていて、それでも作家とつき合うあるいは育てるために、出版社にとってはたとえ赤字でもやり続けていく意味があるものだと聞いたことがあるのですが、それは「文學界」も「すばる」も「群像」も「新潮」も同じじゃないかという気がしていて、当時村上春樹のよほどのファンでもなければ、この中篇を文芸誌を買って読み、増してそれが単行本化されていないと知っていることなどはまずあり得ないのではないかと思ったからです。今回のこのタイトルのちょっとした騒ぎについては、いわゆるハルキストたちが、後付けでデータをひっくり返して突き止めたことではないのか、との思いがあり、天声人語氏のようなふつうの読者がずっと気づいていた、と言うのはちょっと無理があるなと。ではなぜ人語氏がこんなことを書いたかと言うと、これは春樹ファンへのささやかなマウント取りだったのではないかと思うからです。

すみません。僕はとりわけマウント行為に敏感な人間でそういうことだけ気づいてしまうのです。天声人語氏は思うに僕と同程度の春樹読者であり、そこそこ読んだ記憶があるからそれも読んだはずだと考え、あの記述になったのではないかと想像しました。

文學界 昭和55年 9月号 村上春樹 『街と、その不確かな壁』 収録
 
  
amazon.co.jp

 

また少し興奮してしまいました。でやっと今回の『街とその不確かな壁』について、村上春樹のそこそこ積極的な読者である僕の感想です。読んでいる最中からこれは大人にとっての一つの童話ではないかと僕は思いました。この作品の中で、ガルシア・マルケスの作品の一節が引かれ、それをマジックリアリズム(※文学や美術で、神話や幻想などの非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法)だと表記するところがありますが、その言葉を借りれば、今回のこの小説こそマジックリアリズムなのではないかと思いました。この言葉を僕は使ったことがなかったのですが、確かにサイエンスフィクション(SF)とは似て非なる響きがあります。

何と言うのか、物凄く非科学的なことが起きているのに、それがだんだん読者にとってもしごく自明のことであり、何だかふつうにその世界観を共有してしまってその筋の運びが一体どんなことになってしまうのだろうとまるで自分事のように興奮しながら読み進んでしまう、と言うようなことでしょうか。

これは『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の時にも強く感じたことですが、「僕」や「私」の一人称文体がマジックリアリズムになることによって読んでいる自分自身が主人公と同化して、その童話の中を生きている錯覚を起こすとでも言うのでしょうか。童話と書いてもう10年以上前に読んだいしいしんじの『麦ふみクーツェ』と言う作品を急に思い出しました。内容はほとんど覚えていないのにえらい面白かった記憶だけが蘇ってきました。あれはほんと面白かった。

でも今回の『街とその不確かな壁』を単純に面白かった、などとは言いません。名うての書評家などなら、さすがに村上春樹もこの年齢になったから熟練の技術を持ってより充実した作品になっている、とでも言うのかもしれません。登場人物はいつもの村上作品と同様みなそれなりに達観している中で、それでもいかんともし難い言葉のやり取りの連続があることが、読む人を掻き立てていく作品とでも言いましょうか。

でもこれから読む人のためにこれぐらいにしておきます。

麦ふみクーツェ (新潮文庫)
著者いしい しんじ 出版日2005-07-28

* * *

ところで村上春樹についてジャーナルなことで僕が気になっていることを2つ。

一つは先ほどの単行本未収録の件と関連して、かつて朝日ジャーナルという雑誌の編集長が筑紫哲也だった頃、『若者たちの神々』という伝説的な筑紫との対談連載企画があり、これは単行本(ムック)の形で4巻になって出ているのですが、僕の記憶では村上春樹との対談回だけが未収録になっていたように思い、誰か事情をご存知の人がいたら教えて欲しいです。

それともう一つは、数年前、神保町の古本屋に村上春樹の直筆原稿が約100万円の値がついて出たことがありましたが、これについて確か月刊「文藝春秋」誌上で村上春樹自身が、これをマーケットに流したのは当時すでに故人となっていた“伝説の編集者”安原顯で、彼にはデビューの頃大変お世話になった人だしもう亡くなっている人なので言いたくはないけどやはり許すことはできない、と静かな怒りの文章を綴っていたと思うのですが、その後あの件はうやむやになってしまったのでしょうか。これも知っている人がいたら教えて欲しい。

でもそんな風に、適度な事件性みたいなものも持っていることが、村上春樹が伝説化されていく由縁なのかもしれません。きっと限定300部、100000円で売り出される予定の本人直筆サイン入り豪華本もすぐに売り切れて転売の対象とかになってしまいそうですね。実は僕も欲しいのですが。

 

info:ホンシェルジュTwitter

comment:#ダメ業界人の戯れ言

関連記事:芸能プロデューサーדテレビ画面に映るもの”|ダメ業界人の戯れ言#7

関連記事:芸能プロデューサー×直木賞“物語を紡ぐ”|ダメ業界人の戯れ言#8

関連記事:芸能プロデューサー×エンタメ小説家の“敗者の弁”|ダメ業界人の戯れ言#9

特集「仕掛け人」コラム
  • 1
  • 2

2023年5月14日

提供元: ホンシェルジュ

 
   

ランキング(読書)

ジャンル