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北陸の保守王国にみるニッポンの縮図。「はりぼて」の五百旗頭幸男監督が仕掛ける「裸のムラ」

キネマ旬報WEB

 

著名人コメントは以下(五十音順・敬称略)。

道場破りがやって来る…。真剣を地方政治に振り下ろし、ムスリムとバン・ライファーの家族にも抜身をチラッと見せる。不調和な撮影対象もなんのその、ドドンと和太鼓を鳴らしてカットバック。これぞ、ドキュメンタリーの醍醐味。はりぼて富山を暴き出し、金沢を丸裸。ドキュメンタリーの旅人よ、次はどこで刀を抜く…。
──阿武野勝彦(東海テレビプロデューサー)

政治家を囲む多数のカメラと、それを織り込んだ彼らの振る舞い。
そんな光景を見慣れた先に、地域に暮らす人へと間近にマイクを向ける五百旗頭記者の姿が不意に映され、観客である自分の立ち位置が揺らぐ。
ドキュメンタリーって何だろう、と。
──上西充子(法政大学教授)

ムラはずれの人々があぶりだすニッポン・ムラの奇ッ怪。
あなたの足もとにもきっとある。
──上野千鶴子(社会学者)

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内容がとっ散らかっている!監督が自意識過剰でウザい!と、終始もやもや。しかしそれこそが、この映画の圧倒的な魅力である。そして見終わると、自分も同じムラの住人だと気づく。恐ろしい映画ですよ、これは。
──大島新(ドキュメンタリー監督)

自分も「ムラ人」でした。せっかく居心地良かったのに、映画を観たせいで自分も「素っ裸」なことに気づいてしまいました。だから今、とても寒いです。早く「服」を着よう。ちゃんと袖を通して、ひとつひとつボタンを閉めて。
──春風亭一之輔(落語家)

コロナ禍、石川県という大きな言葉の中には何層もの人々の生活が折り重なっている。そのいくつもの視点から見えてくる社会とその社会の運営を任されているはずの政治。今を生きている人々が見据える未来とテレビ局制作ならではの豊富な過去のアーカイブ映像で時間軸もまた幾重にも折り重なり、子供が日記をつけ、おじさんたちがずらりと並び、そして今日もまた茶器が丁寧に磨かれる。
──ダースレイダー(ラッパー)

みんなチヤホヤされたいし、認められたいし、バカにされたくはない。
見え隠れするプライドに、さて、オマエはどうかと指を差された気がした。
──武田砂鉄(ライター)

日本社会に多様性がないと言ったのは誰か。多様性のないのは政界。石川の豊かな自然を背景にしたユニークな3家族の暮らしの映像が、日本人男だらけの県庁ムラと格好のコントラストになって印象的だ。そしてなにより、政治家たちの空疎な言葉に比べて、インドネシアから来たヒクマさんの知性溢れる言葉は、一つひとつ宝物。日本中の子どもたちにみんなに聞かせたい。
──林香里(東京大学大学院教授、メディア・ジャーナリズム研究)

「森喜朗」「馳浩」「北國新聞」。私の大好物を存分に鑑賞できる作品だと思ったら想像を超えてきた。
見えないウイルスのせいでいろいろ見えてきてしまったこの数年を、全方位むき出しで見せている。
五百旗頭監督が被写体に「仕掛ける」度にハラハラしたのだが、あの関係性は俯瞰ではなく「並走」がポイントなのか。
あ、こんなことを考えさせる監督自身もむき出しだったのかも。
──プチ鹿島(時事芸人)

三つ巴の選挙戦を制した新知事陣営は男性ばかり。女性は花束渡すのみ。県議会では、知事席の麦茶の瓶の水滴を丁寧にぬぐう姿。つくづくこの国は、家庭も政治も社会も男の価値によって回る「裸のムラ」なのだ。
──望月衣塑子(「東京新聞」記者)

観始めてすぐにつぶやいた。何だこれ。何の関連もないはずの3つの軸。共通するのは視点。そして可視化される日本のムラ。やがてあなたは気づく。これは僕たちだ。ドキュメンタリーとは何か。ジャーナリズムはどうあるべきか。二つの要素が奇跡的に融合する。
──森達也(映画監督/作家)

 

 

「裸のムラ」

監督:五百旗頭幸男 撮影:和田光弘 編集:西田豊和
音楽:岩本圭介 音楽プロデューサー:矢﨑裕行 プロデューサー:米澤利彦
製作:石川テレビ放送 配給:東風
2022年/日本/118分
©石川テレビ放送

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