幻冬舎ルネッサンス開催「第3回自分史コンテスト」大賞受賞作品!昭和20年代、栃木県山奥の自然豊かな場所に生まれた筆者は、慎ましくも穏やかな日々を送っていた。ところが小学6年生の頃、父の事業が立ち行かず一家は莫大な借金を背負うことに。さらに追い打ちをかけるように父は帰らぬ人となってしまった。道は決して平坦ではなかったけれど、この人生に無駄な経験などひとつもなかった。筆者の半生を振り返った本作では、当時の貴重な思い出と記録が色鮮やかに綴られる。※本記事は、伊藤フサ子氏の書籍『貧しさは人生の花』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです。
第3章 貧困に耐えた中学時代
父を送る
兄の言う通り父は、家が一番貧しい最中に息を引き取ったのです。そんな父を思うと、とてもふびんでした。
しかし兄は、充分に親孝行をしていたと思いました。父にとって兄は、誇りであり自慢の息子でした。記憶があいまいになっていましたが、初対面の人に会うと必ず兄の話をして、とても嬉しそうにしていたのです。
父は五十六歳でした。
父の戒名を今でも覚えています。父の名前の「勝」の一字と、生前の仕事にちなんだように鉱山の「鉱」と言う文字が入っていました。その位牌を見た時、父の人生がその中にそっくり凝縮されたような、不思議な気持ちがしました。
広告の後にも続きます
お葬式は、ご近所の方々が全部段取りをして手際良く進めて下さり、飛脚の話も聞こえてきました。連絡を受けた叔父さんや従兄の方々が遠い所から来て下さいました。
お通夜の晩に大人の人達は皆でお念仏を唱え、お坊さんはお経をあげて下さいました。次兄はお経を聞きながら、
「俺は何だか涙が出ない」
「何故だろう」と呟いていました。
私がつらい時に涙が出なかったように、貧しさは涙さえも奪ってしまうのでしょうか。兄はとてもつらそうでした。私はお念仏やお経を聞くと、自然に涙が溢れてきました。
その夜遅く担任の先生と大勢の友達が来て下さいました。私は皆の顔を見た途端、急に胸の奥から突き上げてくる物を、抑え切れませんでした。我慢しきれずにしばらく泣き続けてしまったのです。何故あんなに大きな声で泣いたのか、自分でも分からないのです。