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明治時代、敗れた旧幕臣たちはどう「転職」した?実は新政府は彼らの統治ノウハウを有効活用していた

Japaaan

旧幕臣たちの「転職」

明治維新で江戸城が明け渡された後、幕府に仕えていた幕臣たちはどうなったのでしょうか。

幕臣たちは新政府と敵対していたため、その後も冷遇されて落ちぶれたり、経済的に困窮したというイメージを持っている人も多いと思います。

実際、徳川慶喜とともに静岡に移住した旧幕臣たちが生活苦に陥り、また幕府に味方した会津藩などが冷遇されたのも事実です。

しかし明治新政府は、彼ら旧幕臣たちをないがしろにするわけにはいきませんでした。なぜなら、薩長土肥を中心とする新政府の面々は全国規模の統治ノウハウを持っておらず、せいぜいが藩政規模の統治経験しかなかったからです。

そこで、全国規模の統治体制を整備するために必要とされたのが、江戸幕府の実務官僚だった旗本や御家人たちでした。

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新政府は国会開設までの間、全国の奉行所と人材を統治機関として機能させ、旧幕臣が希望すれば「朝臣」として召し抱えたりもしています。

そして3万人いた幕臣のうち、5000人がこれに応えました。彼らはこうして「転職」を果たしたわけです。

出仕を拒んだ旧幕臣も少なくありませんが、それでも明治7年(1874)の官員録によれば、政府官員の3割近くが旧幕臣だったことが分かります。

初期の明治新政府は、彼ら旧幕臣によって支えられていたことが伺えますね。

活躍し続けた旧幕府関係者たち

元々徳川幕府は、幕末の激動期に対処するべく優秀な人材を囲い込み、責任ある地位に置いていました。

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