「身分制度によって硬直化していた」は本当か?
江戸幕府が崩壊した原因としてよく挙げられるのが、「幕府は古い身分制度から脱却できなかったから」というものです。
実際、徳川幕府で上位ポストに就けるのは譜代大名だけで、旗本は町奉行より上に行くことができませんでした。
身分が高い家柄であれば、能力が低くても出世が保証されていました。このため幕府は徐々に弱体化し、幕末においてその機能不全が露呈していったと言えるでしょう。
一方で、薩長などの雄藩は有能藩士を幹部候補として育成し、優秀な人材が藩政を動かすようになっていました。このことから、身分制への対応が組織力の違いを生んだと思われても無理はありません。
江戸幕府が身分制によって硬直した組織だったことは事実です。しかし一方で、実は重要政策を担うポジションについては、江戸時代の半ば頃から個人の能力を重んじる実力主義の考え方があったのも確かです。
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一般に思われているほど、幕府の身分制は硬直化していたわけではなく、柔軟な人材育成が行われていました。
実力本位のポジション・「旗本」
こうした実力本位のポジションとしては、まず旗本が挙げられます。
幕政の意思決定機関は老中や若年寄が中心でしたが、幕政の立案・実施を担っていたのは、奉行所などで働く旗本たちでした。
こうした実務官僚には専門性や行動力が求められることから、実力が重視される傾向が強かったのです。
中でも江戸町奉行は、現在の警視総監・最高裁判所長官・東京都知事などにあたる役目だったため、並の旗本では務まらない役職でした。