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陰陽師でもないのに陰陽道の祭祀を執り行い、なんと死者を蘇らせてしまった平安貴族・藤原有国の奇跡

Japaaan

死者を蘇らせる。

医学の発達した令和の時代でもなし得ない事を、平安時代のとある人物が成し遂げたことはご存知だったでしょうか。

その人物は藤原有国(ありくに)、平安時代中期の公卿です。

今回は、藤原有国がどのような人物だったのか触れつつ、死者蘇生のエピソードについてご紹介します。

兼家の眼だった有国

有国は藤原北家真夏流出身で、曾祖父と祖父が受領と大学のトップである大学頭を務めていたことから、実務と学問を重んじる家風の中で、大学寮で紀伝道を学びました。

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天禄4年(973)には円融天皇に仕えていたことをきっかけに、外戚の藤原兼家から能力を認められ兼家の家司となります。

兼家の元で有国は、従四位上・左中弁まで昇進し、右中弁だった平惟仲「左右のまなこ」と評されるほどの信頼を得ていました。

道長に才能を拾われる

しかし、兼家の後継者問題で有国は次男の藤原道兼を推したことをきっかけに、雲行きが怪しくなり始めます。

兼家の後継者には長男の藤原道隆が選ばれたことで、有国のことを知った道隆は、有国を大膳職の秦有時の殺害を企てたとして官位を剥奪して朝廷を追放しました

その後、道隆と道兼が没し、藤原道長が権力を有すると、道長の家司となります。

そして、59歳となる長保3年(1001)の時に、大宰大弐を経て従二位・参議に叙任され、以降は道長の側近として活躍しました

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