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溝口琢矢、どんどん楽しくなっている芝居への熱い想い 「“生涯演劇人”を目指したい」

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――みなさんと熱量の違いを感じた?

溝口:そうですね。お芝居に関して僕が下手くそなのはみんなも知ってるし、そこは誰も責めないんですよ。芝居がどうこうではなくて、やっぱり心持ち。直接は言われないですけど、「ぬるいぞ」と。演出の及川拓郎さんも、演出助手の大関真さんも、最後まで僕を見捨てずにすべてを叩き込んでくれました。一方で、それを見ていた事務所の方が、「美味しいもん食べよう」と稽古帰りに食事に連れて行ってくれたりもして。涙が出るほど支えてもらったし、こんなにダメダメなのに、それでも「あなたを選んでよかった」と言ってくれる人がいたから続けることができた。僕だけの力では、絶対に無理だったなと思います。

――それをきっかけに、覚悟を持って作品に向き合うようになったと。

溝口:実はその前に、岸谷五朗さん演出の『FROGS』(2013年)という舞台にも出演していて、そこでステージに立つ心構えの種を植えてもらった気がします。『FROGS』は体をよく動かす舞台なんですが、僕はダンスもできなければアクロバットなどもってのほかで。でも、五朗さんから「バク転とは言わないから、側転できるようになれ」と言われたんです。それから一生懸命練習してできるようになったのに、実際に見せたら「もう側転しなくていいわ。こんなの見世物になんないから」と。僕は「よくできるようになったね」という言葉を心のどこかで期待していたけど、そうではなかった。舞台で必要なのは、側転をする技術ではなくて、人を魅了できるかどうか。「ただできるようになっただけのお前の側転じゃ、観客を魅了できない。それなら、下手でも一生懸命に伝えようとするダンスの方がいい」ということだったんですけど、当時の僕は「は?」って(笑)。

――そうですよね。ステージに臨む覚悟の大切さは伝わりますが、よく折れずに芝居の道を進まれてきたなと……。

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溝口:いやいや、折れましたよ(笑)。でも、家族やマネージャーさんがすごく支えてくれたんです。そこは本当に恵まれているなと思いますね。ファンの方は「素敵です」とか言ってくださいますけど、僕の後ろにどれだけの人がいて、(背中を押すようなポーズで)こうやって前に押し出してくれているか、と思います。

――先ほどから「支えられた」という言葉が印象的ですが、特に若い頃は「自分だけの力でやっている」と勘違いしてもおかしくないですよね。

溝口:僕がファンのみなさんも含めて本当に“支えられている”と思えたのは、5次元アイドル応援プロジェクト『ドリフェス!』(2016~2018年)のときですね。(DearDreamの)僕ら5人、全員ダンスなんか全然できないし、歌も全然歌えないし、「この先、何をどうするの?」というところからスタートしたんです。一生懸命ダンスもボイトレも頑張ったけど、やっぱり一番大きかったのは“応援プロジェクト”という名前の通り、周りの人たちがとにかく僕らを応援して、広めようとしてくれたことで。その集大成として、スキルの足りない僕たちが武道館で2Daysライブをやらせてもらったんですよ。その景色は今でも忘れられないですし、周囲の支えを本当に実感できる数年間でした。

――目に見えてプロジェクトが大きくなっていくのも感じますからね。ちなみに今でもメンバーの方とは連絡を?

溝口:もちろん取ってます。もう戦友みたいな感じですよね。会えば当時の話もしますし、今でも繋がっています。

●まだ“序章”を終えたばかり

――様々な出会いの積み重ねがあると思いますが、これまでの役者人生を振り返ってみていかがですか?

溝口:本当にこれからだなって思います。ここ数年、安田顕さんと現場でご一緒させていただく機会が何度かあって、安田さんが「これはこうだから、これっておかしくない?」と監督にされる質問は、意識しなければ気にならないところなんです。だけど、あらためて本を読んでみると「たしかに」と思える。それほど突き詰めてやっていることを知った上で安田さんのお芝居を見てしまうと、より一層重みを感じて、僕がそれを体現できるようになるにはどれほどかかるんだろうって。20代はあと2年くらいありますけど、30代に向けての基盤づくりをしなければ、尊敬する先輩たちのもとには到底届かないんじゃないかなと漠然と思っているところですね。

――目指すところが高いからこそ、まだまだ面白さもありそうですね。

溝口:一つ一つを自分のものにしていく面白さは感じると思います。ここからは自分の手札では勝負できないことが増えてくると思うし、今はその手札を増やしていく時期なので、「これはちょっと苦手だからやめておこう」みたいな甘さは一切捨てていこうと思っています。だから「今まで振り返ってどうだったか」と聞かれたら、“序章”ですかね。まだまだ「これまで頑張ってきて良かったです」とは思えないけど、これまでの経験があるからこそ、今やっとそういう世界を望めるようになってきたのかなとも思います。

――お芝居をすること自体、楽しくなっている?

溝口:今、まさにそうですね。どんどん楽しくなっています。それまでは、どこか着飾ってる部分も多かったんじゃないかなと思うんですよね。子どもの頃からお芝居をやらせていただいていて、感情表現をコントロールする術を見つけると「お芝居が上手」って言われるんですよ。そこに甘んじてた部分がきっとあったし、それを盾にしている自分がいて。うぬぼれみたいなものがずっと邪魔していたから、つらかったなと思うんです。そうではなくて、なんでも吸収するスポンジにならなきゃって思えてからは、どんどん楽しくなってきました。具体的にいつからと言われると難しいんですけど、少なくともコロナ禍の影響は大きかったかもしれないですね。

――一時的に、すべてのエンターテインメントがストップしましたもんね。

溝口:やっぱり(公演が再開すると)「待ってました!」という気持ちになるんです。コロナ禍は世間的にもすごく大変で、何もいいことなんてなかったけれど、自分を見つめ直すきっかけにはなりました。舞台ができる、となったときには「ぶつけまくりたい!」と思ったし、本当に自分はお芝居が好きだったんだなって。コロナ禍明け一発目の舞台がキャラメルボックスの成井豊さんが演出された『かがみの孤城』で、マウスガードをつけながらやったんですよ。音楽も流れているし、いわゆる口元にあるマイクではなくフットマイクだったので、負けないくらいの声量でやらなきゃと、ものすごく燃えました(笑)。

――逆境に強いタイプなんですね。たくさんの活動がある中で、カレンダー『みぞたび』は今回で5周年。7月にはバス旅企画も控えています。

溝口:僕、基本的に日本が好きなんです。もちろん海外にも行きたいですけど、やっぱり日本を旅したいという気持ちがあって、これまで日本各地で撮影してきました。最初はコロナ禍でお渡し会が中止になったりもしたけど、5作目になった今、こうやって一歩踏み出せるときが来たので「みんなと旅がしたいな」とシンプルに思いました。それに僕、ファンの人たちみなさんと喋りたいんです。なので、バスツアーは僕へのご褒美ですね。

――大好きな旅もできるし、ファンのみなさんとも喋れるし、最高の企画ですね。あらためて、ファンのみなさんは溝口さんにとってどんな存在ですか?

溝口:この仕事って、自分のファンの存在を視覚的に捉える場面は意外と多くないと思うんです。その中で、「あなたのことを応援してるからね」「頑張ってね」と言ってもらえる機会があると、それに恥じるようなことをしちゃいけないなって思えるというか。「ファンはタレント・役者・アーティストの鏡」という話を良く聞きますけど、僕は「逆も然りじゃない?」と思っていて。みなさんの支えがあるから僕がいる、ということを実感しているので、僕はファンの方に尊敬の念を抱いているし、これからもお互いに鏡でいられたらいいなと思っています。

――溝口さんが役者をしていく上で、「これだけは大切にしたい」ということはありますか?

溝口:月並みですけど、感謝です。仕事柄、お手紙やプレゼントをもらう機会が多い中で、あるとき当たり前のように家に持ち帰ったら、家族から「異様な光景だ」と言われたんです。みんなチケットを買って舞台を見に来てくれるのに、さらにはプレゼントまで用意してもらえるなんて普通じゃないよ、と。だから、あらためて感謝の大切さに気づけたのは、親のおかげかもしれないですね。たしかに親は昔から周りへの感謝を怠っていなかった気がするし、役者業を続けていく上でというよりは、生きていく上で絶対に忘れちゃいけないことだなと思っています。

――最後に、将来の展望を聞かせてください。

溝口:これからも、絶対に演劇は続けていきたい。なのでジャンルは問わず、“生涯演劇人”を目指したいですね。

(文=nakamura omame)

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