top_line

あなたの語彙力が試される!
無料ゲーム「ワードパズル」で遊ぼう

溝口琢矢、どんどん楽しくなっている芝居への熱い想い 「“生涯演劇人”を目指したい」

Real Sound

溝口琢矢(写真=池村隆司)

 12歳での役者デビューから着実に作品を積み重ね、舞台を中心に活躍の幅を広げ続けている俳優・溝口琢矢。スタッフ、そしてファンへの“感謝”を何度も口にする彼はどんな思いで役者業を続けているのか。転機のひとつとなっている5次元アイドル応援プロジェクト『ドリフェス!』でのかけがえのない経験から今後の展望まで、じっくりと話を聞いた。(編集部)

参考:松下優也、“ジョジョ”は運命の役柄に 『ジョジョの奇妙な冒険』を成功に導いた“黄金の精神”

●“支えられる”ことを噛み締めた『ドリフェス!』

――まずは、子役として俳優デビューするまでの経緯から聞かせてください。

溝口琢矢(以下、溝口):『どっちの料理ショー』(日本テレビ系)というバラエティ番組に、子どもがジャッジする夏休みの特別企画があって、母が応募したらオーディションに受かったんです。そうしたら当時、三宅裕司さんのマネージャーだった方が「こんな子いたよ」と事務所のキッズ部門に話をしてくださったみたいで。それと同時に、福山雅治さんが大好きな母親が、何を勘違いしたのかアミューズに書類を送っていたんです。面接に行ったら「あれ?」となって、確認してもらったら(三宅さんのマネージャーが話していたのは)「あなたですね」と(笑)。最初はモデルから始めて、小学4年生頃から現場に行かせていただいていました。

広告の後にも続きます

――2つのルートが同時進行するかたちで芸能界入りされたんですね。子役時代からNHK大河ドラマ『天地人』など数々の作品に出演されていますが、当時はどんな気持ちでお仕事を?

溝口:友達と遊ぶ時間が削られるので、ちょっと嫌でした(苦笑)。レッスンでは周りに男の子がいなくて、僕、トイレでずっと泣いてたんですよ。スーパーエキセントリックシアターの方たちと一緒にレッスンを受けていて、みんなできる人たちだし、志が違いすぎて。今となってはドキドキワクワクしながらやっていたような気もしますけど、当時は「お芝居なんて嫌い」と思っていました。

――そこから俳優業をスタートして、ご自身の意思で「やっていこう」と決めたのはいつ頃だったのでしょうか?

溝口:高校卒業のときです。高校在学中に「進路をどうするのか」と考える時期が来るじゃないですか。でも、僕の中には大学に行くっていう選択肢があまりなくて、そのときに「お芝居をやりたいのかも」と思いました。ただ、明確に「これで食べていくんだ」と思ったのは、そこからちょっと経ってから。いろいろと現場を踏む中で、ターニングポイントがあったことが大きいですね。

――ターニングポイントとは?

溝口:いくつかあるんですけど、学生という立場を卒業したときに、自分って本当に弱いんだなと思ったんです。19歳で『見上げればあの日と同じ空』(2014年)という戦争の舞台をやらせていただいたんですが、当時の僕は生半可な気持ちだったわけですね。今の僕なら「子どもの頃に習い事感覚でやっていたときと、志が変わっていなかったんだな」と言葉にできるけど、その頃は「一生懸命やってるのに!」と思いながらもがいていた。本当に大変だったし、それを終えて「舞台に立つにはこれほどの覚悟が必要なんだ」と知ることができました。

  • 1
  • 2
 
   

ランキング(テレビ)

ジャンル