当然ながら日本人とは言葉が通じず、未知との遭遇が話題になっていたのでした。
転じて言葉の通じない≒話しの分からない人を「うるまの人」と呼んだかどうだか、きっとそんなこともあったのでしょう。
「私が詠んだ和歌に返歌すらよこさないなんて……きっと彼女は言葉の通じないうるまの人に違いない」
「でなければ私から贈られた和歌を無視するなんてもったいないこと、できる訳がないではないか」
そうだそうだ、きっとそうに違いない……フラれてしまった悲しみと悔しさを、自らそう慰めたのではないでしょうか。
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うるまの島はどこの島?
なんて事があったそうで、この和歌ははじめ公任の私家集『大納言公任集』に収録されました。
この時は「しらぎのうるまの島の人」と注釈が入っていたものの、『千載和歌集』に収録された時に「しらぎの」が抜けてしまいます。
ゆえに「うるまの島ってどこ?」「さぁ?どっか辺境の方じゃない?」などと誤解が生まれました。
かくしてうるまの島は「どこか辺境の島」程度に解釈されるようになったと言います。
それが室町時代に入ると現代の沖縄県にあたる琉球王国が足利幕府と交易を始めました。
これがキッカケとなり、人々は「うるまの島とは琉球のことだね。多分」などと納得します。
以来うるまの島≒琉球という認識が広まりました。現代でも沖縄県には第3の都市・うるま市がありますね。
終わりに
以上『千載和歌集』より藤原公任の負け惜しみエピソードを紹介しました。
果たして公任をフった女性は誰なのか、大河ドラマで演じられるのかが気になりますね。
これからも、公任たちの活躍に注目していきましょう!