変異株の研究に忙殺される中、ラボメンバーたちの自立的な行動と成長に、頼もしくて涙が出そうになった
有事のスクランブルは、本当に何が起こるかわからない。新型コロナ研究の実働部隊から感染者が出たことで、急遽筆者がプレーヤーとマネージャーの両方をこなすことになる。そんな中でふと感じた、加齢に伴う変化について思うこと。
*前編はこちらから
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■「プレーヤー」としての矜持と、「マネージャー」としての責任特任助教(当時)のIがそのときに捕捉したのは、その後、巷で「ステルスオミクロン」と呼ばれるようになるオミクロンBA.2株であった。Iが構築した変異株検出システムで発見したもので、当時そのリスクを唱えている研究者はツイッター(現X)も含めて誰もいなかったと記憶している。つまり、正真正銘の世界初の発見だったということである。
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ともあれ、スクランブルプロジェクトを立ち上げるためには、実験材料をそろえる必要がある。当時、BA.2株はまだ日本には流入していなかったので、実験材料はすべて自分たちで作らなければならない。
「……そもそも、それは可能なのだろうか?」 まず、私の頭をよぎったのはそれだった。
年末(2021年末)のBA.1スクランブルで忙殺され、瀕死の状態にあったのはもちろん私だけではない。プロジェクトの実験に従事した実働部隊のメンバーたちも、同様に疲労困憊だったはずである。そんなボロボロの体に、鞭打つようなことはできるだろうか……。
いずれにせよ、話をしなければ事は進まない。意を決して私は、当時の私のラボのダイナモだった、実験チームのツートップポスドクのYとKにおそるおそる声をかけた。
私「……ということでIが、次のやばい変異株を捕捉してしまった。非常に心苦しいのだが、君たちにこれから、そのプロジェクトを立ち上げる余力はあるだろうか?」
彼らから返ってきたのは、驚くべき一言だった。