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松岡功祐、母校・明治大学にコーチとして凱旋。”人間力”を備えた選手たちを毎年プロに送り込んだ5年間

週プレNEWS


2009年の東京六大学野球秋季リーグで優勝し、胴上げされる明大の善波達也監督<当時>(写真:共同)
【連載⑪・松岡功祐80歳の野球バカ一代記】

九州学院から明治大学へ入学。そしてかの有名な島岡吉郎監督の薫陶を受け、社会人野球を経てプロ野球の世界へ飛び込んだ。11年間プレーした後はスコアラー、コーチ、スカウトなどを歴任、現在は佼成学園野球部コーチとしてノックバットを握るのが松岡功祐、この連載の主役である。

つねに第一線に立ち続け、”現役”として60年余にわたり日本野球を支え続けてきた「ミスター・ジャパニーズ・ベースボール」が、日本野球の表から裏まで語り、勝利や栄冠の陰に隠れた真実を掘り下げていく本連載。今回は、3年に渡る中国でのコーチ生活を終えた松岡が、母校・明治大学にコーチとして招聘され、毎年プロ野球に名選手を送り込んだ5年間と、成功する選手の条件について話を聞いた。

*  *  *

明治大学で〝御大〟島岡吉郎の薫陶を受けた松岡功祐は、母校からの「コーチとして戻ってほしい」との要請に応えた。当時の監督は広沢克己(元阪神タイガースなど)、竹田光訓(元大洋ホエールズ)と同期で、キャプテンをつとめた善波(よしなみ)達也だった。2008年に監督に就任して以来、2019年秋に勇退するまで12年間で9度のリーグ優勝を果たした名将だ。

2010年から5年間、コーチとして彼を支えたのが松岡だった。

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東京六大学では、早稲田大学のエースで4年間で通算31勝を挙げた斎藤佑樹(元北海道日本ハムファイターズ)、福井優也(元東北楽天ゴールデンイーグルスなど)、大石達也(元埼玉西武ライオンズ)の3人が卒業したのがこのタイミングだった。

明治大学では4年生には荒木郁也(元阪神タイガース)、3年生には野村祐輔(広島東洋カープ)、阿部寿樹、島内宏明(東北楽天ゴールデンイーグルス)、2年には上本崇志(広島東洋カープ)、1年には岡大海(千葉ロッテマリーンズ)らがいた。

松岡がコーチ就任当時をこう振り返る。

「島岡さんが亡くなってから20年以上経っていました。グラウンドも寮も移転していて、昔の〝島岡イズム〟と感じられるものは少なくなっていました。ユニフォームに縫いつけられていたイノシシのマークもなくなっていたし。島岡さんのことを知っているのは善波監督くらいでした」

猛練習で選手たちを鍛え上げるスタイルではもうなくなっていた。寮生活における理不尽なルールは過去の話だった。

「島岡監督時代に僕たちが経験したことを選手たちに話したところでうまく伝わらない。『島岡さんはこうだった』とか『こんな指導を受けた』と言っても、『いつの時代のこと?』と思っただけだったでしょうね。マンガのようなエピソードばかりだし(笑)」

■50年近く前と変わらないもの
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