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無類の男色嗜好。徳川3代将軍・徳川家光の性癖と寵愛されて出世した2人の重臣【前編】

Japaaan

徳川3代将軍「徳川家光(とくがわいえみつ)」は、男色家であったことが知られている。

今回は、家光との男色関係をきっかけとして出世に成功したといわれる2人の重臣をご紹介する。

男色とは

「男色」とは男性同士の性愛を指す。日本における男色の歴史は古く、奈良時代には広く行われていた。当初、貴族や公家を中心に浸透した男色は、時代と共に武士社会にも及び、鎌倉・室町時代をへて江戸前期には全盛期を迎えた。

武士の間に男色が浸透した理由は、戦場に女性を連れて行けなかった事や、身の回りの世話をする小姓の存在が上げられており、実際に男色関係を持つ者たちは主従関係にある場合が多かった

愛し合う江戸時代の武士たち…衆道(男色)の心得とは何か?武士道の教範『葉隠』かく語りき

家光の男色趣向

徳川家光(Wikipediaより)

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歴代の徳川将軍の中にも男色家は多く、中でも3代将軍・家光の男色好みは群を抜いていたとされる。若年時の家光は女性にまったく興味を示さなかった

地位の高い武士や大名にはお付きの家臣があり、中でも身近に控え身辺の世話をする「小姓(こしょう)」と男色関係に発展する事例が多いとされた時代にあって、家光も例外ではなく、気に入った小姓と男色関係にあった。

1616年には60名以上の少年が小姓として家光家臣団を形成しており、家光と男色関係にあったことが伺える。

大奥誕生のきっかけに

家光には、十代の頃に坂部五右衛門という小姓を斬った逸話が残されているが、男色関係の縺れによる事件であったとされる。

家光の乳母「春日局(かすがのつぼね)」(Wikipediaより)

将来的に将軍となる可能性が高かった家光には跡取りである男児の誕生が責務であり、女性に興味を示さない家光に周囲は危機感を抱いた。

3代将軍・徳川家光の男色がきっかけ!?江戸時代の大奥が巨大ハーレム化した驚きの理由

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