当時は死因を調べる方法もないので、遺体は解剖されることもなく、そのまま遺族に引き取られ荼毘に付されたということです。
5人の死因は?
一酸化炭素中毒であれば、無自覚で突然症状が現れるため、5人が近くでまとまって倒れている可能性が高く、バラバラになって死んでいるのがありえないとは言えませんが少し考えにくいでしょう。また一酸化炭素中毒の御遺体の特徴は血色がいいということなので、手だけ紫に変色しているのも不思議です。
小屋の火床に半身を突っ伏して亡くなっていた男性も謎です。最後まで火を起こそうとしていた様子でしたが、なぜ仲間が出ていくのを止めなかったのでしょうか。
止められるほど自分にも体力が残っておらず、最後まで火を起そうと努力したものの、発火ができずに力尽きたのでしょうか。
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考えられるとしたらあまりの寒さに低体温症のような状態になり、皆が意識もうろうとなってしまったということでしょうか。当時は現在のような気象データは存在しませんが、入山後2日後に大雪が降ったと記録されているようです。
筆者は雪山登山をしますが、春の残雪期の登山は一瞬にして低体温症になる危険は高くないものの、難しい点があります。
なぜなら直射日光は春の兆しなので、日中に山を縫うように歩けばかなりの汗をかきます。現代でも、3月末ともなれば、重たい荷物を以て雪の照り返しの中歩くと、長袖一枚で十分のこともあります。
しかし日没後、気温は一気に下がります。かいた汗は一気に冷え込み、自分の肌に凍り付くこともあり低体温の危険性が高まります。また、知らず内に脱水症状を起こすこともあります。
当時は現在の様にレジャーの登山は一般的ではありません。猟師しか山に入らないのであれば、雪は踏み固められていない可能性が高いので、そういった場合はラッセルといって雪をかき分け進みます。その際、日中緩んだ雪が衣類や靴を濡らすこともあり、知らず内に凍り付いていることもある、十分注意が必要な時期です。
そして極寒の状態なると「矛盾脱衣」という現象が起きることがあります。
人は長時間極寒に晒されると、皮膚血管を収縮させて体内から温めようとする働きが強くなります。すると体温と外気温との間で温度差が生じ、脳が「暑い」と錯覚してしまうのです。もしかしたら4人にも同じようなことが起きたのかもしれません。
思いがけず大雪が降り、5人とも疲れ果て仮小屋に入ったものの、日中にかいた汗が急激に冷えて低体温症に陥り、火をおこそうとしたが湿気などで思うように火が付かず、そのうち4人が意識障害で室内を暑いと錯覚して、小屋の外へ跳び出して服を脱いでしまった…そんな筋書きがたてられなくもありません。ただ、ベテランの猟師たちがそんな初心者のような気のゆるみを起こすでしょうか…。
紫色の手の謎は、急激に血管が収縮して内出血を起こしてしまったのでしょうか。
山の中で何が起こったのか…それはもう知る由もありません。
しかしディアトロフといい、この明治の遭難事件といい、この解けない謎は筆者の中に永遠に棲み続けてしまうことでしょう。
参考:新潟県立図書館