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さわのモデルは誰?赤痢の怖さ、道長と倫子は子沢山…大河ドラマ「光る君へ」3月24日放送振り返り

Japaaan

これに対して、紫式部の返歌がこちら。

西へ行く 月のたよりに たまづさの
かきたえめやは 雲のかよひぢ

【意訳】あなたが遠く九州へ行ってしまっても、決して手紙を書きますからね。空を行き交う雲に乗せて届けます。

この「筑紫へ行く人」が平維将である確証はないものの、赴任時期や親戚関係(維将の妻は式部の伯母=その娘とは従姉妹同士)などからそのように考える説があるそうです。

ちなみに劇中では存在が割愛されていますが、紫式部には亡き母の代わりに自分を育ててくれた姉(藤原為時長女)がいました。

姉はほどなく世を去ってしまい、寂しい思いをしていた時期に親しくなったと言います。

離れ離れになってしまった後、二人の再会がかなうことはありませんでした。

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赤痢について

劇中で藤原実資(秋山竜次)が患い、藤原宣孝(佐々木蔵之介)から「あれはもうすぐ死ぬ」と判断されてしまった赤痢(せきり)。

その名称から連想される通り、血液のまじった下痢をともなう病気です。古くは血屎(ちくそ)とも呼ばれました。

大きく細菌性赤痢とアメーバ性赤痢があり、一般に赤痢と呼ばれるものは赤痢菌による細菌性赤痢を指すといいます。

夏の時期によく発症したため、俳句において夏の季語となりました。誰か詠んだ方はいるのでしょうか。

赤痢の流行に関する最古の記録は平安時代で、『日本三大実録』では貞観3年(861年)、『日本紀略』には延喜15年(915年)などに記録があります。

藤原実資が永延元年(987年)5月に患ったほか、正暦元年(990年)8月には一条天皇(柊木陽太)・長和5年(1016年)には藤原顕光(宮川一朗太)や藤原道綱(上地雄輔)も発症しました。

他にも冷泉天皇(第63代。一条天皇の伯父)が赤痢を患い、回復することなく崩御されました。

現代に比べて衛生環境が劣悪だった平安時代。『餓鬼草子』などを見ると人々は路地の片隅で排泄をしています。こういう環境では、一度赤痢が発生すると大流行したことでしょう。

あえて劇中で表現する必要はないと思いますが、もうちょっと市井はゴミゴミした表現でもいいように感じます。

源俊賢と源明子

藤原一族によって失脚させられた父・源高明(たかあきら)の無念を晴らすべく、摂政家に近づく源俊賢(本田大輔)と源明子(瀧内久美)。しかし二人の胸中はそれぞれ異なるものでした。

「これからは摂政家の下で栄達を図ろう」と割り切る兄・俊賢に対して、「髪の毛一本でも手に入れて、呪詛してやる」と怨みをたぎらせる妹の明子女王。

一条朝 四納言 源 俊賢(みなもとのとしかた)
本田 大輔(ほんだ・だいすけ)

明子の兄。父の高明を政変後に失うも、持ち前のバランス感覚で地道に出世する。当初は道隆に仕えていたが、道長に権力が移るのを冷静に見定め、頭角を現していく。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(登場人物)より

後に一条天皇の治世で才覚を発揮し、藤原公任(町田啓太)・藤原斉信(金田哲)・藤原行成(渡辺大知)と並んで「一条朝の四納言」と讃えられました。

これまではF4(藤原四人組)として物語を彩ってきましたが、しだいに道長が突出した存在として離脱。これからは4N(四納言)の活躍に期待ですね。

道長のもう一人の妻 源 明子(みなもとのあきこ)
瀧内 公美(たきうち・くみ)

藤原道長のもう一人の妻。父の源高明が政変で追い落とされ、幼くして後ろ盾を失った。のちに、まひろ(紫式部)の存在に鬱屈(うっくつ)がたまっていく。

※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(登場人物)より

……いかにもドロドロしてそうと言いましょうか。

『源氏物語』のキャラで言えば、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)が似合いそうです。

美人なだけにいっそう恐ろしい展開が期待できそうですね。

道長と倫子の子供たち

さて、永延元年(987年)に結婚した道長と倫子。これで摂政家と左大臣家のつながりは強まりました。

摂政家は自分たちに唯一対抗しうる左大臣家の懐柔に成功し、左大臣家としても摂政家の権勢に乗れるのは悪い話ではありません。

もっとも、源雅信(益岡徹)は倫子を天皇陛下へ入内させたかったのでしょうが、年齢的なタイミングなどが合わなかったようです。

一説によると、まひろ(藤式部→紫式部)はこの時に倫子づきの女房として出仕したと言われます。

なぜなら女房名(ビジネスネーム)の式部は現時点における父・藤原為時(岸谷五朗)の極官(最高官職)であるから。

仲良くしてくれる倫子と、最愛だった道長の関係を間近で見せつけられる今日中は察するに余りあるものです。

なお、道長と倫子の夫婦仲は円満で、多くの子女を授かりました。

【道長と倫子の子供たち】

長女・藤原彰子(見上愛)
永延2年(988年)生~承保元年(1074年)没
一条天皇に入内し、中宮となる。後一条天皇・後朱雀天皇を生んだ。

長男・藤原頼通(よりみち)
正暦3年(992年)生~延久6年(1074年)没
父の後継者として摂政・関白になる。娘の藤原寛子(かんし/ひろこ)を後冷泉天皇に、養女の藤原嫄子(げんし/もとこ)を後朱雀天皇に嫁がせる。

次女・藤原妍子(けんし/きよこ)
正暦5年(994年)生~万寿4年(1027年)没
三条天皇(居貞親王)に入内し、皇后となる。娘の禎子内親王(ていしないしんのう)が後朱雀天皇に入内する。

五男・藤原教通(のりみち)
長徳2年(996年)生~承保2年(1075年)没
後に関白となる。娘の藤原歓子(かんし)は後冷泉天皇に入内し、皇后となった。

四女・藤原威子(いし/たけこ)
長保2年(1000年)生~長元9年(1036年)没
後一条天皇に入内し、皇后となる。娘の章子内親王(しょうし/あきこ)は後冷泉天皇の中宮、馨子内親王(きょうし/かおるこ)は後三条天皇の中宮に。

六女・藤原嬉子(きし/うれしこ)
寛弘4年(1007年)生~万寿2年(1025年)没
後朱雀天皇の東宮(皇太子)時代に成婚、後冷泉天皇を生んだ。

のちに天下の権勢を極めた道長の正室とあって、6人の子供たちはことごとくエリートぞろい。

もし倫子を主人公とする物語があったら、
「倫子はたくさんの子宝に恵まれ、どの子も立派に成長。一族は大いに立ち栄え、道長と末永く幸せに暮らしました。おしまい」
というハッピーエンドが描かれることでしょう。

とは言え、道長には側室の源明子ほか、たくさんの妻妾がいました。

妾よりは恵まれていても、寂しい時があるのも確か。

10代のまひろが思っているほど、正室もいいことばかりではなかったようです。

庚申待(こうしんまち)について

劇中でも解説された通り、庚申待の夜はみんなで寝ないよう、夜通し楽しく過ごすのが通例でした。

しかし、道長たちは静かに過ごしていたのが気になりますね。

実は、本作では登場していない道長の実姉・藤原超子(ちょうし/とおこ)が関係しているのです。

彼女は冷泉天皇の女御となり、居貞親王(三条天皇/木村達成)・為尊親王(ためたか)・敦道親王(あつみち)・光子内親王(こうし/みつこ)の三男一女を生みました。

しかし天元5年(982年)1月28日、庚申待の夜に息を引き取ってしまったのです。

うっかり寝てしまって、身体から抜け出した三尸虫(さんしのむし)が魂を引っかけてしまったのでしょうか。

このことがあって以来、兼家の一門では庚申待を行わなくなったそうです。

迷信に振り回されることの虚しさは本作においてしばしば描写されますが、こうしたことも一因となっているのでしょうね。

ちなみに庚申待の風習は近現代にも続いており、道端にある庚申塔は庚申待の記念に建てられたもの。

もし見かけたら、建立年月日や参加者の名前などを調べると楽しいですよ。

第13回放送「進むべき道」

さて、まひろと道長の破局が決定的となった?今回。しかしながら二人の関係は続いていきます。

次週の第13回放送は「進むべき道」。果たしてまひろはどっちへ進もうとするのでしょうか。

道長とつかず離れず、もどかしい日々が続くものと思われます。これからも、目が離せませんね!

トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式ページより

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