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「勝俣さんみたいにカッコよくなりたい」勝俣州和に夢を語った少年は中居正広だった

SmartFLASH

 当時は携帯電話がないので、油性ペンで体に直接、電話番号が書かれていたのです。しかし、どれが誰の電話番号かわからなくて、とりあえず勝俣さんは全部の電話番号をすぐにメモしたことを明かし、場を沸かせていました。

 

 そんな人気アイドルグループだった時代のお話を、筆者も以前、勝俣さんに伺っています。

 

勝俣「CHA-CHAが人気があったときは、ライバルが光GENJIで、僕はトップ中のトップと戦っているイメージだったから、ふだん毛皮を着てサングラスをかけてたの。ド天狗ですよ(笑)。

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 でも、その鼻が自然と折れたのは、欽ちゃんに『優しい人間になれ』と言われたことで、毛皮を着たりサングラスをかけてる場合じゃないなって」

 

 勝俣さんは萩本さんの一言で自身の行動が間違っていることに気づかされたのです。その後は、ライバルの光GENJIにどうすれば勝てるのか考えていたと言います。

 

勝俣「当時、光GENJIは握手や写真を撮ったりすることが、ビッグになりすぎてできないという話を聞いたんです。CHA-CHAは、光GENJIができないことをやっていくことが戦略の1つになるんじゃないかなと思って。

 

 それで、『CDに握手会のチケットをつけたら、地方のホールに行ったときに歌うだけじゃなくてCDを売って握手会もできるし、いいじゃん』ということで始めたの」

 

 現在、AKB48をはじめとする多くのアイドルがおこなっているCDに握手券をつける手法を、勝俣さんたちは35年以上前からやっていたのです。

 

勝俣「握手会は1000人とか2000人規模で2回転とかやってたから、手がしびれたもんね。

 

 メンバーがみんなファンに優しかったから、しゃべったりファンから腕にキスされたり。いまみたいにスタッフが『はい時間です』とかないから、本当に時間がかかったよ。

 

 でも、仕事でやらされてる感がなくて楽しかったけどね」

 

 当時『アイドル共和国』(テレビ朝日系)という番組で、勝俣さんはSMAPと共演していました。

 

勝俣「SMAPがまだデビュー前で、(香取)慎吾なんかは小学生だったんじゃないかな。

 

 だから、収録現場の『西武園ゆうえんち』に僕が行くと、『朝、かき氷を食べてお腹が痛くて今日SMAPのメンバー2人が出られません』とか『昼間に遊びすぎて熱中症で3人出られません』とか。

 

 SMAP全員が揃うことがなかったから(笑)。でも、そのプロ意識がないところがかわいいなと思ってて。

 

 そんな感じの現場だったけど、実は、CHA-CHAが歌っているとき、いつもステージの袖で熱心に見ている男の子がいて。それで、袖に帰った僕が、その子に『いつもなに見てんの?』って聞いたのよ。

 

 そしたら『僕、勝俣さんみたいにカッコよくなりたいんですよ』って言うから、『君もいつか僕みたいになれるよ。待ってるから』って肩たたいた子が中居(正広)君だったの。

 

 あっという間に抜かれて、すぐに見えなくなったけどね(笑)。抜かれるときは秒速だったから。でも、中居君も当時のことを覚えてくれていたよ」

 

 現在数多くのバラエティ番組で司会を務めている中居さん。番組を回すテクニックは、勝俣さんから学んでいたんですね。

インタビューマン山下
1968年、香川県生まれ。1992年、世界のナベアツ(現・桂三度)とジャリズム結成、2011年に解散。同年、オモロー山下に改名し、ピン活動するも2017年に芸人を引退しライターに転身。しかし2021年に芸人に復帰し現在は芸人とライターの二足のわらじで活動している。

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