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金メダリストがハーフマラソンに挑戦!|水泳・木村敬一が走る~完結編~

パラサポWEB

全盲のスイマーが、初挑戦のハーフマラソンを走り切った。東京パラリンピックの水泳(100mバタフライS11)で金メダルを獲得した木村敬一が、10月16日に行われた「東京レガシーハーフマラソン2022」に出場し、2時間23分2秒で完走した。

東京レガシーハーフマラソン2022で完走した水泳の金メダリスト木村敬一

「この世の終わりかと思った」

目標の2時間35分を大きく上回る好走だった。爽やかな笑顔でフィニッシュした木村だったが、直後の取材対応では「この世の終わりかと思った。立っているのもしんどい。鼻の先までビリビリしている」と苦笑いを浮かべた。木村が挑戦を決めたのは、昨年の東京パラリンピック後も障がい者および障がい者競技への理解を深める機会を創出するという大会の理念に共感したことが理由だった。

フィニッシュ後は笑顔で手を振っていたが……

スイマーとしての練習と並行して、8月末からランニングを練習。約1ヵ月半で100㎞を走り込んだ成果を示して、レースを完走。「僕自身もスポーツの楽しさ、素晴らしさを思い出した。走る側も、沿道で応援する側もスポーツって楽しいものだと思い出すことができた。たくさんの人が一堂に会して、スポーツの面白さを感じて、オリンピック、パラリンピックを思い出してくれたと思う。それが永続的に続くことがレガシー(遺産)だと思う」とイベントの価値に触れた。

今大会は、男女、健常者、障がい者の区別なく一斉にスタートした。午前8時過ぎ、東京オリンピックの柔道男子66kg級金メダリストである阿部一二三による号砲で、定員1万5千人という大混雑の中、エリート選手、市民選手と一緒に、障がいの部男子の木村も国立競技場から外苑西通りへと走り出した。初挑戦の木村にとって大事なのは、完走するために一定のペースを保つことだ。目標は、2時間35分。平均すると1㎞7分20秒ほどのペースで走らなければならない。練習で走ったのは、最長で15㎞。あとは、少し速めの6分台のペースを体に刻み込んだ。レースの最初の5㎞は下り坂で、32分26秒。レースの高揚感や、どんどん追い抜いて行く周りの人につられる部分もあり、1㎞6分26秒と少し早めのペースだった。そこから5㎞毎にペースは落ちていったが、1㎞6分台のペースは最後までキープ。伴走の福成忠さんが「後半は、本人が足に(ダメージが)来ていると言っていたけど、良いフォームを最後まで維持できた。だから、苦しいというのが、あまり分からなかった」と話すほど、たくましく走り切った。

苦しんだ末に感じられたスポーツの魅力

しかし、木村にとっては、当然ながらきつかった。前半は、練習の成果を感じながら走れていた。7kmほど走ったところで、福成さんから「マラソンっていいでしょう?」と聞かれて「(走る)喜びは、分かりました」と答えたという。

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沿道から思っていた以上の声援が聞こえ、すれ違うランナーからも声をかけられたのが、気持ち良かった。

しかし、折り返しの10㎞手前から、苦しさに襲われた。木村は「10㎞は、まだ我慢できたけど、12~13㎞、皇居を過ぎたくらいで、これは芳しくないなと。飯田橋を過ぎた辺りで調子が戻って来たけど、しんどさが波のようにやって来て、それとの戦いをずっとやっている感じ」と苦しみながら復路を走った。

15㎞過ぎから飯田橋、市谷見附、四谷四丁目とゴールである国立競技場へ近づく道のりは、上り坂だ。坂が終わって下りに入ってから足の痛みが再発したが、最後は、声援を力に変え、両手を挙げてゴール。「国立競技場で走れるって、幸せだなと思いました。これだけの大歓声を聞きながら走れるのは、スポーツをやっていて幸せな瞬間だなと思うし、僕自身も(スポーツの楽しさを)思い出す機会になりました」と初体験のハーフマラソンを走り切った充実感を味わった。

無事、完走したあと、木村とともに報道陣に対応する福成さん(右)

長距離走は、小学生以来。天候に左右される環境、アスファルトの反発による衝撃、視覚障がいがある身で人混みの中を走ること。練習で経験した15㎞の先の苦しみ。慣れ親しんでいる水泳とは異なり、あらゆることが初めての経験だった。もちろん、走り終わった後の感覚も初めて。取材対応の途中でも「水泳は、プールを上がれば(インタビューに答える頃には)脈が戻って来るけど、運動時間が長過ぎて、脈が戻らない」とゴールをしてからも押し寄せてくる疲労感に驚いていた。

何度も「しんどい」と繰り返したが、どこか清々しさも漂った。1ヵ月半の準備期間は、サポートしてくれる人たちに支えられながら、学ぶ時間だったと話した木村は、こう言った。

「挑戦することって(その先に)何があるか分からない中でスタートしても、一つのことを一生懸命にやると、それが絶対に何か得るんだなとあらためて思いました。どういう形になるか分かりませんけど、挑戦する姿勢は、生きていく中で続けていきたいですね」

自国開催のパラリンピックによる一時的な盛り上がりに終わらず、挑戦する姿に注目してもらい、より良い共生社会の実現につなげていくこと。それが、木村が参加した理由であり、伝えたかったことでもある。そのために挑んだ新たなチャレンジで得たものは、明らかだ。伝えたかったことが、自分に返って来たことだ。トップスイマーになり、目標の更新が難しくなる中で忘れがちだった、自分の可能性を広げる挑戦は楽しい、という原点だ。

1ヵ月半のハーフマラソンの挑戦を終えた木村。今後も挑戦する姿を多くの人に見せていく
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