「薬屋のひとりごと」狂気を孕んだ狐目の男― 羅漢は悪辣な“策略家”か“好々爺”か、それとも…

– アニメやマンガ作品において、キャラクター人気や話題は、主人公サイドやヒーローに偏りがち。でも、「光」が明るく輝いて見えるのは「影」の存在があってこそ。
– 敵キャラにスポットを当てる「敵キャラ列伝 ~彼らの美学はどこにある?」第44弾は、『薬屋のひとりごと』の羅漢(らかん)の魅力に迫ります。
世の中には、敵とは言い切れないかもしれないが、油断ならない奴というのがいる。

『薬屋のひとりごと』は薬の知識のみならず、様々な分野に博学な少女・猫猫(マオマオ)と美しい宦官・壬氏(ジンシ)を中心として宮廷ドラマだ。そんな2人にとって、敵対するわけではないかもしれないが、何かと振り回す存在として、羅漢というキャラクターが登場する。彼は悪人なのか、2人の敵なのか? それすらもよくわからない不気味な存在として暗躍し、物語に深みを与えている。

この連載は敵役を掘り下げることをテーマにしているが、羅漢はそれに該当するのか、微妙なラインではある。しかし、敵役は広義にとらえ、主人公に何らかの障害を生み出す者と解釈すれば、羅漢はまさにそれに該当するだろうし、彼のキャラクター造形はある種の敵役の類型と重なる部分がある。

■自ら動かずに青い薔薇を枯らす男
本作テレビアニメにおいて、羅漢は第2クールの重要人物だ。このクールで描かれるほとんどのエピソードに彼は何らかのかたちで関与していることを匂わせている。オープニング映像での描写が非常に印象的だ。青い薔薇(そうび)の後ろにいる彼の姿は見えない、しかし、そのバラが枯れると隙間からその姿がわずかに見えてくる。本人は座っているだけで一切動かず、なぜか美しい薔薇が枯れていく。この描写は、羅漢というキャラクターを端的に表現している。後ろに控えて自分は表になかなか出ていかない、そして自分で手を動かさずにことを成す。全体像を見せないことで、羅漢の底知れなさを表しており、不穏な雰囲気を醸し出している。

羅漢はいうなれば、影のフィクサーのような存在として描かれている。何を考えているわからない昼行燈だが、抜け目がなく理知的。部下の登用が巧みで、自分が動くことなく、他人を働かせるのが上手いので、陰で多くの人を操っている、そんな存在だ。例えるなら、シャーロック・ホームズの宿敵、ジェームズ・モリアーティだろうか。彼は裏で糸を手繰り、人々を意のままに操るタイプの敵役と同じ共通点を持っている。

原作では彼の容貌は「武官服を着ているが、その容姿は文官にこそふさわしく、細い狐のような目は理知とともに狂気を孕んでいた」と描写される(ヒーロー文庫『薬屋のひとりごと』第2巻、P80)。狐という比喩表現は、羅漢のキャラクターを示すのにぴったりだろう。狐といえば相手を騙すずる賢い動物というイメージだが、彼はまさに狐のごとく周囲をけむに巻き、目的に近づいていくのだ。

本作は推理ものの体裁を取っているので、こうした策略をめぐらす存在は物語を盛り上げてくれる。まったく別々の事件が線となって繋がり、裏には陰謀があるのでは?とわかったときのスリルが第2クールの物語を引き締めている。その中心に羅漢がいて、主人公の猫猫との因縁もそこに絡んでくる。強烈な嫌悪感を見せる猫猫と羅漢はどんな関係なのか? なぜ羅漢は猫猫を振り回したのか? このクールの物語全体を牽引する存在として、痛烈な振舞いを見せるのが羅漢なのである。

■狐の目から涙がこぼれるとき
羅漢は誰かを陥れようとしている――視聴者にはそのように見える。しかし、彼の身の意外な素顔がのちに明らかになる。危険な匂いを放つ羅漢は、実は一途に愛を生きる男でもあった。

羅漢は、他人の顔が認識できない。「相貌失認」のような症状を幼い頃から抱えており、そのせいで多くの苦労をしてきた。しかし、猫猫の養父であり羅漢にとっての叔父である羅門の助言で、顔以外のことで人を識別できるようになり、人並み以上の観察眼を手に入れた。それが彼の才能と能力を開花させ、武官としての出世につながっている。そんな彼にとって唯一、顔を認識できる相手が猫猫の母だった。

彼は、猫猫の母親をハメたわけではなかった。本当に一途に初めて人を愛したが、運命のいたずらで彼女を破滅に追いやってしまっただけだった。結果として、娘の猫猫にも彼は疎まれる存在となってしまったが、父として娘の活躍と健やかな成長を願っていることも間違いないのだ。ただ、周囲からはそう見えないのだ。

ただ単に、羅漢は策略を巡らす生き方をせざるを得なかった。だから、彼の一挙手一投足は、全て策略じみて見えてしまうのである。何しろ、彼の外見は「狂気を孕んだ狐の目」である。ただ、そういう目になったのも、権謀術数を働かせて生きるしかないような、そういう星の下に生まれたからという点で、彼は運命に翻弄された存在なのだ。

「理知の中に狂気を孕んだ狐の目」からしずくが零れ落ちるとき、この男はモリアーティのような悪人ではなかったのだと気付く。策略を巡らす生き方から抜け出し、愛を得ることができたのだ。狐の目にも涙である。

(C)日向夏・イマジカインフォス/「薬屋のひとりごと」製作委員会