貞本義行先生のコミカライズは独自のエンディングを迎えた。画像は『愛蔵版新世紀エヴァンゲリオン』第1巻(KADOKAWA )

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大人になって見ると評価が逆転?

 大人になってからアニメやマンガの見方が変わった、という人は多いのではないでしょうか。この記事では大人になって見返したら評価がガラっと変わったキャラクターを紹介します。

君は何ひとつ悪くない!

 ひとり目は『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジです。かつてはエヴァに乗りたくないとか戦いたくないなどと煮え切らないシンジ君にイライラを募らせていたものですが、大人になってから見直すと完全に評価が変わりました。

 シンジ君の態度が許せないというよりも、先に鼻につくのはネルフの面々です。人類の運命をかけた戦いに14歳の少年を巻き込みながら、何ひとつまともなフォローやケアをしていない周囲の大人たちに強い違和感を覚えます。どうしてもシンジ君が必要なら、せめてカウンセラーとかセラピストとか、コーチとか、十分なサポート体勢があってしかるべきでは?

 シンジ君の立場になってみれば、幼少期に育児放棄され、突然呼び出されたと思えば、強制的に兵器の操縦者にさせられ、しかも何ひとつその理由が説明されないという異常事態です。健気にも無茶ぶりの連続に応え続け、消耗したシンジ君へ向けたセリフもトゲがありすぎて本当にひどい。

「また逃げ出すのか」
「そうやって愛想ばかりついてると、これから先辛いわよ」

 上記はほんの一部に過ぎませんが、これが14歳の子供に向けて言う言葉とは思えません。大人になってから見直すとシンジ君の扱いが雑すぎて、よく耐えられたなと感心するばかりです。

 シンジ君は決して弱虫ではありません。間違いなく英雄です。

かっこいいだけの男ではない

 ふたり目は『機動戦士ガンダム』シリーズのシャア・アズナブル。リアルタイムで視聴していた頃は子供だったこともあって、シャアをかっこいい年上のライバルだと思っていましたが、今は違います。大人になってからはシャアの人間的な弱さが見えるようになり、むしろそれが彼の魅力だと思えるようになりました。

 革命家の息子であり、エースパイロットでもあるシャアは高いカリスマ性で多くの人に慕われ、求められます。しかしシャア自身が誰よりも傷つき求める者なのです。

 映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のラストシーン、アクシズを押し返そうとするアムロとの会話の中、遂にシャアが告白したシーンは衝撃でした。

「ララァ・スンは、私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか!?」

 スペースノイドの希望の星であること、人類の未来のために腐敗した地球連邦を粛清すること、ネオ・ジオンの総帥であること、ニュータイプであること、エースパイロットであること、大人の女(ナナイ)と付き合える大人の男であること。

 その全てはララァによって埋めてもらえるはずだった「母親から得られる無条件の絶対的肯定」を失った心の穴を埋めるため、あるいは隠すための代償行為であり、ララァを奪ったアムロへの意趣返しだったのかもしれません。

 プライドが高いシャアはナナイに甘えているように見せても決して本心までは明かしませんでしたが、唯一認めるアムロにだけは死の直前になってようやく本音を吐露したのです。

 ここまで人間的で魅力的なキャラクターは珍しいのではないでしょうか。



圧倒的な体力と燃え盛る情熱。組織人になっても信念を曲げない姿勢をうらやましく感じる。画像は『GTO』第1巻(講談社)

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部下や同僚として遠慮したい男 No.1

 最後に紹介するのは暴走族上がりの破天荒な教師が、問題を抱えた生徒を助けていく『GTO』の鬼塚英吉です。当時は社会のルールに縛られず100%生徒の側に立ってくれるグレートティーチャー鬼塚に感情移入できましたが、今となってはかなり難しく感じます。

 鬼塚は教育者というよりも、何らかのコミュニティのボスのような接し方をしているように見えるのです。生徒としてはそれがいいのですが、組織人としては悩みものです。

 生徒の家庭問題を解決するために家の壁をハンマーで破壊したり、親の愛情を試すために狂言誘拐をしてみせたり、生意気な女子生徒を変態クラブに売ると脅したりするのは教師としての業務からあまりにも逸脱しすぎでフォローしづらいのです。また生徒の個人情報を公開してしまうのは、連載当時の感覚でもコンプライアンス的に完全にアウトです。

 もちろん、鬼塚の人間力と熱量があってこそ、問題児ばかりの壊れたクラスを修復できたのですが、どうしてもルールの範疇に収まりません。職場の同僚、あるいは部下、上司として現実的にシミュレーションすると、鬼塚を受け入れるのは困難極まりないと言えます。

変化しない作品と変化する読者

 完結した作品は変化しませんが、読者は生きている限り変化し続けます。多くの経験を積むほど作品理解の解像度が高まるものです。この機会にかつて好きだった作品を読み直してみると、新たな発見があるかもしれません。