オスマン建築とバロック様式の折衷が美しい


ヌスレティエ・モスク オスマン帝国時代の西洋風モスク

バルヤン一族はオルタキョイ・モスク、ドルマバフチェ宮殿、ベイレルベイ宮殿など、イスタンブールを象徴する建造物を世に生み出した、才能溢れる一族でした。彼らはオスマン帝国の伝統的な建築様式を受け継ぎつつも、当時西洋で盛んだったバロック様式をうまく取り込むことにより、スルタンから贔屓される建築家一族となったのでした。ヌスレティエ・モスクも例外ではなく、外観を見ただけでもわかるように、ドーム部分に西洋風の装飾が施されていたり、採光用の窓のデザインがバロック様式であることがわかります。

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ヌスレティエの意味とは?


ヌスレティエ・モスク内部 まるで宮殿のよう

ヌスレティエとはトルコ語で「勝利」を意味します。当時、帝国の西洋化を試みていたマフムト2世は、西洋化に反対していたイェニチェリ(オスマン帝国常備軍歩兵)と対峙していました。1826年にマフムト2世はイェニチェリ廃止に成功し、新式の軍隊を構成するにいたりました。この成果を記念して、モスクは「勝利のモスク」と呼ばれるようになったのです。